1月19日(火)
気温低い。
農協から毎月の配布物届く。12月の出荷額などをパソコンに入力する。
去年は、米、さやいんげん、枝豆、広島菜、白ネギをつくった。
そして、そのすべてが当初設定していた目標金額を超えた。
(5年もやれば、そういうことにもなる)
広島菜はずいぶんよかった。
収穫を始めた時には今年はダメだわと思った白ネギも終わってみればまずまずだった。(実際、農協に出荷されているのを見ると、今年は例年より細いサイズがずいぶんと多かった。栽培するには難しい気候の年ではあった)
それなのに、まったく胸を張ることのできない利益なのは、それはまあそういうものなのだからしょうがない。
夕方、町職員時代の先輩(13歳ばかり年上)の通夜。
通夜といっても、参列して一緒にお経を読むものではなくて、お悔やみを言って、帳場に香典を預けて、お焼香をして帰るというのはコロナ以降のこと。
1月20日(水)
夜中はとても気温が下がった。日中は雲一つない快晴。
半日を掛けて10ヶ月ぶりの写真ブログをつくる。
題材は去年の秋の広島行きのこと。
やることがまたひとつできて、ほっとする。(やらなきゃ、楽なのに)
1月21日(木)
まあまあよい天気。でも、強い寒気が過ぎたとはいえ寒くはある。
アメリカ大統領の就任式は何事もなく終わった。トランプはヘリコプターで去る。
集落で協同利用しているトラクター更新の件で農協(借入れの相談)と役場(補助金申請の相談)へ。
夕方からクラブ。
1月22日(金)
一日中、周りの風景が白く霞んでいる。靄というより霧の方が近いぐらい白い。そして、気温はこれまでより高いのに寒さが重い。
それは、機械協同利用の組合の代表者をやっているので、自分がやらなくてはならないこと。
40年ぐらい前にできた組合だけど、もともと構成員が多くないのに、それから少しずつ減っていって今ではとてもさみしい状況になっている。
これからはさらに(加速的に)減ってゆく。
地方の未来なんて希望は持ち得ない。
話は今朝のことに戻るのだけど、また町職員時代の先輩の訃報を聞く。
今度は、自分の親ほどの年齢で、自分が役場に入った時に上司だった人。
先日の先輩も同じなのだけど、何十年も昔のありふれた普通の光景での故人の姿がやけに現実味を帯びて思い出される。