bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

2月10日(水)

2月10日(水) 晴れ

 

9時発、10時着。

 

先週の3日間に続いて、第4回目となる特別集中講義。テーマは「農業機械」。これが最後の講義となる。

 

 

昼食は、先週に続いて今回の講義期間で3回目となるお店へ行く。 

 

 

「マスターはずっとこの土地で暮らしてきたんですか?」

 

食後のコーヒーを飲みながら聞く。

 

「いや、若いときはちょっと出てましてね。3年ぐらい大阪にいて、それから東京に・・・」

 

「東京はどこでした?」

 

「世田谷です」

 

「え、世田谷のどのあたりですか?」

 

「世田谷通りの・・・」

 

「僕もその辺です。区役所のすぐそばです。世田谷駅の近くでした」

 

「ずいぶんと昔のことで、いたのも1年半だけだし、住所とか覚えてないんですよね。通勤なんかも車だったから近くの駅の名の記憶もないし。三軒茶屋から5kmぐらい行ったところだったかな」

 

「世田谷通り沿いですか?それともそこから入ったとこですか?」

 

「50mぐらいだったかなあ。踏切のすぐ横で、電車の音がうるさかったなあ。まあ、やがて慣れましたけどね」

 

・・・

 

帰宅してから地図で確認した。

 

 

赤いラインが電車の走る世田谷線

 

緑のラインが世田谷通り。

 

右側の三軒茶屋から始まる2つのラインは、1km先では500mほど離れて、さらに1km進んだ三軒茶屋からは2km先になるところで一緒になり、そこからはそれぞれ反対の方向へと大きく離れて行く。

 

マスターは「世田谷通りから50mぐらい入ったところの踏切の近く」と言うのだから、その2kmの内であることは間違いない。

 

(あの間が2kmしかないことは自分も意外だった)

 

そして、「三軒茶屋から5kmぐらい行ったところだったか」とのことなので、その距離感覚からすると、いったん離れた2つのラインがぐんと接近する辺りと推測されるのだが、その辺りは自分が大学時代の4年間を過ごしたところである訳で・・・

 

元職場で隣の席だった後輩の、母親の実家が世田谷の自分の下宿のすぐ近くであって、関東で暮らしていた子供時代には何度もその家に行ったことがあるということを知ったこと。

 

大学にある資料館の受付にいた女性が隣町である川本町の出身ということを知り、その後に歩いて世田谷の下宿へ向かい、近くの懐かしい文房具屋に入るとそこの老店主の知人にも川本町の人がいることを知った、という数年前の出来事。

 

新しいところでは、去年の春に、仕事の用事で我が家に来た役場の職員が大学生の4年間を暮らしていたのが、自分の下宿と20mほどの近さであることを知ったこと。

 

その3つの出来事は「同じ風景」というタイトルでブログに書いたのだけど、もう1つ、マラソンを通しての知人で隣県に住むある男性と話をしていて、その娘さんが自分の下宿からそう離れていない(ひとつめの後輩の母親の実家と同じ4丁目。自分の下宿は3丁目)ところに住んでいるということを知ったこともあった。

 

・・・

 

いつか、印刷した地図をマスターに見せて、懐かしい土地の話をまたしたいと思っている。