2月25日(木) よい天気
『夜と霧』(ヴィクトル・E・フランクル)を読み終える。
これは、ナチスの強制収容所(絶滅収容所とも言う)に収容されていた著者が、そこでの体験を心理学者の視点から描いた本であり、先日に観た映画『シンドラーのリスト』の流れで学生時代に買っていたものを再読した。
この本は著者の文章が始まる前に、その本文と同じぐらいの長い解説があるのだけど、そこにはいくつかの収容所での「いくつものこと」が書かれてあって、自分に続いてその解説から読み始めた女房は、「これを読み終えるまでに私、普通の精神のままでいることができるだろうか」などと言っている。
” ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。(中略)われわれが人生の意味を問うのではなくて、われわれ自身が問われた者として体験されるのである。”(本文P.183)
日中は、農業・養蜂業の決算をする。
夕方からクラブ。この2ヶ月ずっと誰も来ない。
2月26日(金) 雨のち曇
一日、ずっと決算の続き。
農業・養蜂業の会計は複式簿記でやっている。
農業・養蜂業を始めた最初の冬に、参考図書を読みながら苦労してエクセルで関係帳票を作り上げた。
複式簿記で経理をすると、経営状況が正確に分かるし、所得税も青色申告ができて税的にも有利になる。
だけど、複式簿記によって正確にわかる経営状況はいつも散々たるものであって、青色申告であってもなくても税として関係のないほどのわずかな利益しかない。
作業に追われる農繁期には忘れているのだけど、その季節が終わって会計のまとめをするときにはいつも、あまりの利益のなさに愕然とする。
一体、自分は何をやっているのか?
” われわれ自身が問われた者として体験されるのである ”
農業・養蜂業にしても、クラブにしても、何を問われているのだろうか?