1985年4月14日
広島市に遊びに行き、たまたま目にしたポスターに誘われてライブ会場のホールに入った。
その3人の演奏者のうち、ピアノの加古隆は知っていたけど、ドラムのポンタという人は知らなかった。
2009年11月23日
夜、Tさんから電話あり。
「来月に、村上”ポンタ”秀一が来るよ」
2009年12月8日
この島根の片田舎での、ポンタさんの初めてのライブ。
2020年1月15日
所用で名古屋市へ行き、ライブがあることを知る。
名古屋での2日目の夜、ライブ終了後のサイン会のときにポンタさんにご挨拶する。
「島根県邑南町から来ました」
「?」
「○○の大将がいて、Tさんがお世話していた・・・」
「ああ」
2021年3月15日
ポンタさんの逝去が公表される。(3月9日 逝去、享年70歳)
・・・
書き出してみると、10回もポンタさんの演奏を聴いている。
自分(1961)よりちょうど10歳年上(1951)なので、広島でのライブの時、ポンタさんは34歳。
一度聞いたら忘れることのない名のドラマーが、広くはないホールの後ろから客席の間を通って現れたことを記憶している。
それから25年の歳月が過ぎ、その間には、ポンタさんが数多くのレコーディング(その数1万4千曲超)やステージに参加している有名なドラマーであることを何かの折に見聞きしたし、近いところでは図書館で『ポンタボックス ザ・ベスト』というCDを借りてその演奏を聴いてもいた。[ 村上”ポンタ”秀一(ds)水野正敏(b)佐山雅弘(p)他 ]
2009年12月の初ライブから、当地での最後のライブとなった2014年9月までのおよそ5年間に、ポンタさんは8回もこの町や隣の町で演奏をした。
そのうちの5回は我が家から近い矢上交流センターで行われて、そのときには会場準備などを手伝ったので、本番前のリハーサルも聴くことができた。
報道によると、今から1年前の2020年3月27日に宮城県石巻市で行われたライブが最後のステージで、それはサックス奏者のユッコ・ミラーとのライブツアーであり、その後はコロナ禍の下、既往歴のあるポンタさんは音楽活動を休んでいたという。
その2ヶ月ほど前の、名古屋のライブもユッコ・ミラーとの共演だったので、ポンタさんの人生最後のライブツアーに出会うことになったのだと思っている。
① 1985.4.14 加古隆(p)吉野弘志(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 紙屋町ヤマハホール(広島市)
② 2009.12.8 柴田敏弥(p)水野正敏(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 矢上交流センター(島根県邑南町)
③ 2010.3.31 松岡直也(p)高橋ゲタ夫(b)カルロス菅野(per)村上”ポンタ”秀一(ds) 矢上交流センター
④ 2010.12.21 天田透(fl)坂井紅介(b)村上”ポンタ”秀一(ds) いこいの村しまね(島根県邑南町)
⑤ 2011.5.22 吉田次郎(g)坂井紅介(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 悠邑ふるさと会館(島根県川本町)
⑥ 2011.6.22 山下洋輔(p)坂井紅介(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 矢上交流センター
⑦ 2013.11.17 吉田次郎(g)Vana Gierig(p)Ole Mathisen(sax)坂井紅介(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 瑞穂山村開発センター(島根県邑南町)
⑧ 2013.12.11 柴田敏孝(key)岡沢章(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 矢上交流センター
⑨ 2014.9.7 小沼ようすけ(g)坂井紅介(b)村上”ポンタ”秀一(ds) 矢上交流センター
⑩ 2020.1.15 ユッコ・ミラー(sax)折重由美子(p)前田順三(b)村上”ポンタ”秀一(ds) スターアイズ(名古屋市)
追記①
中学生のときに井上陽水のアルバムを2枚持っていて、その中の数曲はポンタさんがドラムを叩いていることを、今になって初めて知った。
『氷の世界』(1973)
・・・2曲(「はじまり」「桜三月散歩道」)
『招待状のないショー』(1976)
・・・6曲(「Good,Good-Bye」「招待状のないショー」「今年は」
「水無月の夜」「もう・・・」「結詞」)
追記②
ポンタさんの当町での初ライブの8年前、2日間の研修を広島市で受けたときの夜、街でポスターを見てあるジャズのライブに行ったのだけど、そのときのベーシストが同じ当町での初ライブのときの水野正敏さんだった。
2001.10.1 難波弘之(p)水野正敏(b)池長一美(ds)
広島市でプロのジャズ演奏を聴いたのは、ポンタさんらのライブと水野さんらのライブの2つぐらいなのに、しかも2人ともに遠い東京を拠点に活動している人だというのに、この偶然に驚いた。