bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

3月15日(月)~16日(火)

 

3月15日(月) 晴れ

 

「土を掘るといろいろなことがわかる」と先月の農業講義で習ったので、1圃場だけ掘ってみる。なるほど、おっしゃる通り、であった。

 

ポンタさんの逝去を知る。

 

 

3月16日(火) 小雨

 

合間合間に、1日をかけてブログを書く。(お気楽ブログの方)

 

村上”ポンタ”秀一というドラムをたたく人(以下「ポンタさん」)がいた。

 

就職して2年目の24歳のときに、遊びに行った広島市で、初めてポンタさんの演奏を聴いた。

 

街を歩いていて、たまたま入ったライブでのことだった。

 

変わった名前なので記憶していたし、その後にはポンタさんが日本を代表するドラム奏者であることを知りもした。

 

それから25年近くが過ぎたある日、ポンタさんがこの町に来ることを知った。

 

数年前に東京からこの町に移住して料理店を始めた人がポンタさんと知り合いで、ポンタさんが広島市でライブをやった後にその新しい店に立ち寄ることになり、どうせなら演奏もやろうということになったということだった。

 

ポンタさんがこの町に初めて来たのは、自分が48歳のときだった。

 

それは自分の活動の幅が広がり始めるころでもあった。

 

2歳違いの子供2人が順番に進学で家を巣立って行き、夫婦で何度もそれぞれが暮らす土地へと旅行をした。

 

矢上中年隊というシニアのチームができて(ゆるい)大会に参加するようになったのも、誘われてマラソンをするようになったのも50歳のときからだった。

 

自分で自由参加のクラブを始めるきっかけとなった『学び合い』の勉強会に、何回か県外まで出かけて参加したのもこの頃のこと。

 

「見守る保育」を行う県内の保育園の園長と知り合うことになって、園の見学や園が主催する研修会に参加したりもした。

 

そして、ポンタさんを初めとした多くの一流の演奏者が何度も来町して、その演奏を聴いた。

 

この町での最後のポンタさんのライブは自分が53歳の頃だった。

 

自分はその年を最後に30年間務めた仕事を辞めた。

 

その前後の年にそれぞれ大学を卒業した子供たちは自活を始めている。

 

 

去年の1月に養蜂の講習会に参加するために2泊3日で名古屋市に行き、そこでたまたま手にした市内のライブ情報のリーフレットで、2日目の夜にポンタさんのライブがあることを知った。

 

6年ぶりのポンタさんのライブだった。

 

ライブ終了後のサイン会の前に、少しだけポンタさんにご挨拶をした。

 

それが、最後だった。 

 

 

 

bunbun-h.hatenablog.com

  

 

1951年1月生まれのポンタさんは享年70歳。

 

1961年4月生まれの自分は還暦を迎える。

 

過去を振り返るとともに、節目ということを思いながらブログを書いた1日だった。