9月下旬にあることを知り、それをきっかけにして創刊(1976)のころから最新刊まで我が家に数十冊そろっている「郷土石見」という年数回発行の論文集のようなものを、就寝前のわずかな時間に毎日少しずつ、古いものから順番にぱらぱらとページをめくっている。(たまに気になるものは読む)
「石見」は「石見地方」のことで、東西に長い島根県の西半分を言う。(東半分は出雲地方)
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10月1日(土)
車で20分のところにある「水の国」(江津市桜江町、2000年頃開館、2018年4月より休館)の旧展示室で開催されたコンサートに行く。
演目は寺神戸亮(てらかどりょう)というヴァイオリニストによる、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」から数曲。
演奏時間およそ全75分。最初の音で少しうるっとなる。コロナ禍でずいぶんと長い期間こういう機会がなかった。
今回は、数年後に計画されている地元出身の音楽家を記念するコンサートの前段にあたるプレコンサートとのことで、その音楽家である塩田信之というヴァイオリニストを初めて知ったのは、このコンサートを報じる新聞記事だった。
こんな田舎で生まれ育って、専門教育もほとんど受けずに、世界有数の楽団のメンバーになった人がいたとは。
塩田信之(1944-1993)
『 江津市桜江町川越(旧、邑智郡桜江町川越)で生まれる。幼少期から高校2年まで父親の指導の下に自宅にてヴァイオリンを練習。高校3年時に地元の川本高校(現、島根中央高校)から東京の桜美林学園高等部に転入し、卒業後は読売日響の第1ヴァイオリン奏者を経て19歳でオランダの名門「アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)」に入団。以後49歳で没するまでの間、同楽団にて世界の第一線で活躍する。』(コンサートのプログラムより要約)
「郷土石見に書かれてましたね・・・」
休憩時間にお手洗いに行くと、2人の年配者のそんな会話が耳に入った。
その2人に声をかける。
「〇〇さんはどうして(中略)たんですか? 突然すみません、郷土石見って聞こえたもので、つい」
「え、それは知らなかった。そりゃ、大変だ」
「新聞に出てました。でも、万が一違ってたらいけないけど」
「いや、〇〇してたからね。間違いないですよ」
10月2日(日)
夕方、体育館でバスケのゲーム。
本来であればいるはずの50代の数人がそれぞれの事情でここしばらくは来ていないので、最近は10代から40代始めまでの人たちのゲームの中に60歳の自分が加わっている、そんな状況。
10月9日(木)
毎日少しずつ書いていたブログ(「いわみ濡縁ブログ」)ができあがる。
こちらは車でたった10分(そこから徒歩20分)のところにありながらも最近初めてその存在を知ったのだけど、音楽好きの自分が今頃になって地元出身の塩田信之さんを知ったことと、滝好きの自分が60歳になるまでこの滝のことを知らなかったということは、どこか似たような話ではある。(ずいぶんと久しぶりに一人で山中に分け入ったという体験談でもある)
夕方からクラブB&J。
ここでも時と場所を、若い人たちと共にできるこの幸い。
10日8日(金)
10月10日(日)
夕方から体育館でバスケのゲーム。久しぶりに50代の数人もそろった。
そして、いつものように若い人たちとの対戦。
10月12日(火)
来月中旬に大田市温泉津町で行われる、イワミアーツプロジェクト主催のデジタルアート展と東京の劇団員によるワークショップのポスターとパンフレットをもって、町内と隣の川本町の公民館など各施設を回る。
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今もまだ「郷土石見」という年数回の論文集のようなものを、就寝時のわずかな時間に少しずつ、古いものから順番にぱらぱらとページをめくっている。
めくっていると、執筆者であったり、「郷土石見」を発行する石見郷土研究懇話会の役員であったり、自分が若い頃に多少なりとも関わりのあった人たちの名前をところどころで目にすることにもなる。(父親は懇話会の会員だが自分は違う。個人的な関心や30代前半に担当していた社会教育の仕事を通じての関わりだった)
自分もいつの間にか、かっていろいろとお世話になったその人たちの年代になっている。