9月23日(木)
体育館の前でバドミントンをしている数人の姿が見える。
部活でもあったのだろうか。
車から降りて「終わったの?」と聞くと「今からです」との答え。
「B&J? 僕のクラブ? なんで来ることになったん?」と聞くと、答えに戸惑っている子等の中から「前に来たことあります」との声。
そして別の方向からは「おっちゃん」と呼びかける声も。
高2:3人(うち女1)、高3:3人、大学1:2人、学年不明:1人、計9人
・・・
参加者が途絶えて1年9ヶ月が過ぎた。
途絶えたと言っても、誰も来なくなって2ヶ月ほど経った去年の3月5日には2年前に高校を卒業した11名(うち1人は1年前の卒業生)が県内外から突然やって来た日があったし(それからまた誰も来ない日々が続く)、その年の夏期休暇と今年の春期休暇の時期には大学生になったばかりの数人の顔を何度かこのクラブで見ることもあった。
現役の高校生も去年の6月から12月の間には時々来てもいる。
だけど、それもこの春までのこと。それからはまったく誰も来ない。
体育館の利用申請書は3ヶ月ごとにまとめて提出している。
4月から6月、7月から9月、10月から12月、1月から3月という具合に。
さすがに誰も来ないクラブをいつまでも続ける訳にはいかないだろうと、7月からの申請書を出すときに9月をもってクラブを終えることに決め、それを体育館を管理する公民館の職員に伝えもした。
終わりを3ヶ月先にしたのは、夏期休暇で帰省した大学生などがこれまでのようにクラブに来るかもしれず、そのときには小学生時代からの付き合いである彼らに終了のことを伝えたいと思ったのも理由のひとつだったけど、結局この夏は誰も来なかった。(この時期は町内でも新型コロナ感染者がずいぶんと多かったし・・・)
ただ、期間を設けたことにより折に触れて何人かに話すことができた。
たとえば、街のいろいろな場所で出会った、かっての小学生の親御さんたち。(そのうちの何人かは、クラブ開始当初には親子で参加していたこともあった)
「参加者がなくなったんで9月末で終えようと思います。おかげで15年間続けることができました。その間にのべ7000人の参加がありました」
そして、先日(9月18日)のバスケの大会では、今では社会人になっているクラブ経験者の数名にも話すことができた。
「参加者がなくなったんで・・・」
・・・
「こんど球技大会があるから、(練習のために)来たんじゃないの」
小学2年の頃から中学生になるまで欠かさずクラブに来ていた今は高3のA.Oくんと、別々にバスケのシュートをしながら話をする。
その隣では8人が2つのネットを挟んでバドミントンのダブルスをしている。
そこに、高3のA.Oくんと同じく小学生時代を通しての常連で、今は高2でバドミントン部のA.Oくんがいることに気づく。(2人は近所同士で、ついでにイニシャルも同じ)
高3のA.Oくんが言うには、バドミントンも球技大会の種目の一つであって、ダブルスをしている8人のうち6人がバドミントン部で2人がバスケ部とのこと。(引退後の元部員を含む)
そして、クラブの終わりにようやく気がついたのだけど、高校生ばかりだと思っていた8人のなかには2人の大学1年生がいて、そのうちの1人はまだ高校生たちがいつも来ていた2年前までの2年間、時折来てはバドミントンをしていた子であった。
・・・
今年の9月は木曜から始まっているので、クラブは5回できる。
いよいよ終わりになると思うと安堵するところもあった。
女房は、終わったらお祝いのご馳走をしようと言ってくれてもいた。
「鍵借りに来ました・・・あと5回」
公民館で体育館の鍵を受け取る度にカウントダウンも始めていた。
この日言ったのは「あと2回」。
・・・
「受験生だからね。コンビニでおっちゃんに会わなかったら、B&Jのことなんか頭から抜けてたよ」
2週間前だったか、いつものように誰も来ない体育館で30分ほどバスケの練習をした後に立ち寄ったコンビニで高3のA.Oくんを見て、クラブを終えることを話した。(普段、街で出会うことなんてまずない)
高3のA.Oくんが高2のA.Oくんにそのことを話したのかもしれない。そして高2のA.Oくんがかってのバドミントン部の先輩である夏期休暇中の大学生に連絡をしたのかもしれない。(今はみなラインでつながっているから)
なぜ、クラブに来ることになったのかは分からない。(この日たまたま部活動がなかったことは大きい)
9月27日(月)
10月から12月までの申請書を公民館に提出する。