追記
あるところにある家族がありました。
ある日、父親は13年間患ったガンで死にました。
それから1年後の同じ日の朝、息子は自ら死にました。
それから1年と数ヶ月後に、母親は夫と同じような部位にできたガンで死にました。
そして、誰もいなくなった・・・。
共依存的。
共依存(メモとして)
”共依存とは、相手との関係性に過剰に依存し、その人間関係に囚われている状態を指す。一般的に、共依存者は自己愛・自尊心が低いため、相手から依存されることに無意識のうちに自己の存在価値を見出し、共依存関係を形成することが多い。(「Wikipedia」より)”
(「共依存」は学術用語ではなく明確な定義もないそうです)
”事実を受け入れることができたのは翌日になってからでした。ぼくは妻に「しんちゃんがどんな風になっても、すべてを受け入れ支え続けていこう」と言いました。すると妻は不思議そうに「なに当たり前のこと言ってるの!」と言ったのです。妻は、初めから事実を受け入れていたのです。
そして、あることが起こりました。きわめて不思議な、まったく予想もつかないことでした。どんなことがあってもしんちゃんを支え続けてゆこうと思った瞬間から、ぼくは、自分の内側から、ものすごいパワーが、生まれて初めて味わうぐらい凄まじいパワーが沸いてくるのを感じたのです。
(中略)
いったい、彼女たちは、なぜあんなに明るい(ように見える)のだろう。ぼくは、ある時、食堂で、三つの難病を抱えて、三つの病院を転々として、何年もほとんど家に戻れない子どものお母さんに、質問をしたのです。「どうして、そんなに、明るく振る舞えるんですか」と。
すると、そのお母さんは笑って「そりゃ明るくしなきゃ、やってられないでしょ」と前置きし、こうおっしゃったのでした。「あの子は、うちの太陽だからです。そのことに、あの子が病気になってから気づきました。いまでは病気になってよかったと思えるぐらい」と。(高橋源一郎)”
作家、高橋源一郎さんが数日前からツイッターで連続して短文を書いています。
上記はそこから引用しました。
難病を抱える子の母親は「いまでは病気になってよかったと思えるぐらい」と言ったそうです。
美しいと思うと同時に恐ろしいとも感じます。
それは良いとも悪いとも言えません。
それは人間がもつひとつの性質であり、それを消すことはできず、また消す必要もないものなのだと思います。
(しかし、それを意識する必要はあるのかもしれない)
”「介護とは要するにその人の傍にいること。ただそれだけ」と。ぼくたちは、生きる力をもらうためにこそ「弱者」の側に立つべきなのかもしれません。そしてさらに、ぼくはこう考えたのです。「では、いちばん弱い者とは誰だろう」と。もっとも弱い者、それは「個」なのです。”