bunbunの記

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ぼ、ぼ、ぼくらは・・・

 

隣のおじさんの容態が良くないのです。

 

この9月には、前隣りのおじさんが亡くなったのですが、こんどのは後ろ隣りのおじさんなんです。

 

とても気難しい人だったそうです。

 

でも、僕は子供だったので、そんなおじさんの姿はしりません。

 

よくしてもらったという記憶しかありません。

 

でも、集落の人たちはずいぶんと困らされていたそうです。

 

あと数日かもしれないと聞いたので、そのおじさんの様子を見に行きました。

 

おじさんが入院している病院は僕の職場でもあるので、病棟看護師におじさんの容態を聞いたりしながら、気軽に病室をのぞくことができます。

 

「おじさん。〇〇だよ」

 

と、声をかけましたが、酸素マスクをつけて、細くわずかに開けた目をパチパチとし続けているおじさんには、僕の声が聞こえているようには思えませんでした。

 

結婚した数年後に女房のおばあさんが死にました。

 

それは、私の長女が5歳、長男が3歳のころのことでした。

 

おばあさんは、昔のことをよく知っていて、盆や正月に訪ねるたびに、そのおばあさんの話を聞く私は、未開の村の古老に話を聞きにいっている民俗学の調査員のような気持ちになりました。

 

「昔、それはそれは力持ちの男がいて、ある日のこと、引き抜いた青竹を襷にして・・・」(それらの話を書き留めなかったことをちょっと後悔してます。おばあさんが語る、そのことごとの具体的な話の部分は全部忘れてしまいました)

 

そして、おばあさんは、ある日ころんで骨折して、入院して検査したら癌が見つかって・・・

 

そのおばあさんが死ぬ数日前に、そのおばあさんの内孫である私の女房は、見舞いに行った病室で、おばあさんと二人きりの病室で、幼いころから大変に苦労したそのおばあさんのこれまでのことを(とても具体的なことごとを)、いろいろと聞いたと言います。

 

さらに、思い出すことがあります。

 

そのおばあさんが死に、火葬が行われました。

 

火葬が終わり、骨を拾うころから、私の3歳になる息子が泣き始めました。

 

泣くというよりも、それは鳴咽という様子でした。

 

火葬が終わって、女房の実家に戻っても、車から降りた息子は家に入ろうとはせずに、車の横で泣き続けていました。

 

(その夜のお寺での通夜のお経の席でも、また思い出したように泣き始めたのでしたが・・・)

 

今日の午後は、今では高2になったその息子と女房と私とで、近隣の市へ買い物に行きました。

 

立ち寄った本屋で、文庫本になった西原理恵子の「ぼくんち」を見つけて買いました。

ぼくんち」は図書館で借りて読んだことがあり、物語の終わりのころから泣きました。

 

とてもとても悲惨な境遇の姉弟の物語です。

 

でも、とてもとても温かい物語です。

 

悲惨なのに温かい。

 

悲惨だからこそ温かい。

 

私には、それが、どちらなのかはわかりません。


となりのおじさんは、大学生だった一人息子を白血病で失いました。

 

連れ合いも数年前に死にました。

 

今は、おいが面倒をみているだけです。

 

葬式は身内だけでやることにしているそうです。

 

そんなこんなの話を、今日帰宅してから女房と話しました。

 

あの時のことを思い出すと、菜の花が浮かんできます。

 

火葬が終わって、女房の実家へ帰ってからも、息子は車の外で泣いていました。

 

私はなんだか疲れていたんだと思います。

 

車から降りずに、うつらうつらしたんだと思います。

 

息子が家に入らなかったので、しょうがなかったんです。

 

後ろに倒した運転席に背をもたせ掛けて、開けたままの車のドアから、道端に座って泣き続けている息子の様子を見ているしかなかったんです。

 

女房を含めたまわりの者も、息子はどうしたんだろうかと、遠巻きにして見ていたんだろうと思います。

 

季節は春。

 

養蜂業を営んでいる女房の実家の周りには菜の花畑があり、道端にも種が飛んでくるのか、ところどころに菜の花が咲いています。

 

そのときに、微睡から目覚めた私の目の前に見えたのは、その1本の菜の花だったのです。

 

(うつらうつらしながら息子の様子と菜の花とを見ていたのかもしれません)