bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

クラブ

 

小1:3人、小2:5人、小3:7人、小4:3人、小6:4人、計22人。

「自分たちで」「みんなが」「できる」ということがこのクラブの目標であり、私はそれが達成されるかどうかを見ている。達成が難しいようならみんなを集める。

 

始めにそんなことを話す。

 

みんなはいろんなことを始める。

 

でも「みんな」にはならない。

 

なんとなく退屈そうにしている子もいるし、なによりも全体の様子が活性化していかない。

 

みんなを集めてそのことを伝える。

 

そのことを伝えて、ではどうぞというと、一部の子供たちが外に駆け出していく。

 

また、みんなを集める。

 

「自分たちで」と「できる」はそこそこできているけど、「みんなが」ということが抜けてるんだと話す。

 

私が話を終えると、同じ一部の子どもたちは躊躇することなく外に向かって走りだすし、それを引き戻そうとする子どもたちも結局は一緒に外に出ていったきりになる。

 

これに近いようなことはこの数週間のクラブで何回か体験したことである。  ・・・(注1)

 

(それは、この数週間、毎回のように同じ学校の子供たちの初参加があることにも原因があるのだろうが、私はそのことをずっと待っていた。もっともっといろんな子どもたちが来てほしい)

 

子どもたちを集める。

 

「外に出る子どもたちが悪いと言いたいのではない。もちろん良いとは言わないけど。みんながてんでんばらばらで、自分たちがよければいいというような、しらーっとした雰囲気のほうが問題だと思うんだ。ここは自分たちでできるかどうかの正念場なんだ。まあ、みんなはいつも、ああしなさいこうしなさいと言われてそれにしたがってやることばかりだから、こうやって自分たちでやっていくということになれていないから難しいかもしれないけど、だけど、その難しいことを自分たちでやっていってもらおうとしてるんだよ・・・(以下、省略)」

 

それからは、逃走組の子どもたちは野球を始めて、その勢いはその後の小1から小6までの19人によるドッジボールのゲームにつながっていった。     ・・・(注2)

 

(それ以外の3人の小6の男女は、最初から最後までバスケの2対1をしていた。みんなを集めて話した時に、そのうちの1人が「みんなでやれ」ということかと私に聞いたが、とりあえずは、その必要はない。他の子どもたちが生き生きとしていくのに、君たちのプレイもそれに同調するようであり、そしてまたその逆もあったはずなのだから)

 

みんなを送り出して、一人体育館の玄関で靴を履き替えているときに、くやしさのような感情が一瞬こみあげてきた。

 

また1週間後のクラブの日を待たなければならないのかと。

 

明日にでも、今日の続きをやりたいのに。

 

それができないことが、とてもくやしいのである。


(注1)そのクラブの様子は、そのときどきの私のブログを読んでください。ささやかだけど毎回進化してると自負しています。もちろん私ではなく私たちの進化です。

(注2)もちろん子どもたちだけで始めたゲームです。