bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

お誘い/ある土曜日の朝の気分

お誘い

 

毎週土曜日のミニバス教室。

 

子どものミニバス教室だけど、今日はまた1人大人の参加者が増えた。

 

このミニバス教室の前半は基礎練習で後半は試合。

 

今日は、6分ずつ小学生の試合と、大人対中学生などの試合がそれぞれ3回行われた。

 

大人と中学生などの試合の構成は、「おじさん・おじさん・おじさん・おじさん(私)・中1女子」対「中1男子・中1男子・中1男子・中1男子・小6男子」という具合。

 

ところで、私はいつもこの教室では試合だけ参加させてもらって、前半の基礎練習は見学しているのだが、見学しながら隣接する小学校の校庭を眺めたら、親子2人がサッカーの練習をしていた。

 

「どこの親子だろうか」とその様子を見ていたのだが、教室が終わってから体育館の外に出たら、校庭でサッカーをしていたその親子もちょうど歩いて家に帰ろうとするところで、それは私のクラブに来ている小3の男の子とそのお父さんだった。

 

今日のミニバスクラブに初めて来た大人というのも、このミニバス教室と私のクラブの両方に来ている子どもの父親である。

 

で、何をここに書こうとしているかというと、お父さんたちも子どもたちと何かを始めればいいのにと今日の2人の(1人は体育館でもう1人は校庭の)父親を見て思ったのである。

 

いろんなところで、いろんなひとたちが、いろんなことをはじめたらいいのにと思うのである。

 

そうなれば、私は今の私のクラブだけでも満足できるだろうと思うのである。

 

今日のミニバス教室も、その指導者が小学生になったばかりの自分の息子と2人で始めたのがその始まりなのである。

 

私は別に、私自身がやることを増やしたいのではないのである。

 

子どもたち(もちろん大人たちも)の有能さに基づく何かが、世の中でどんどん行われていくことを願っているだけなのである。

 

(そうなれば、私もそれらに参加できますし)


ある土曜日の朝の気分

 

平成20年2月17日(日) 食卓でなぜか「場と術の会」という名を思いつく。

 

2月20日(水) ミニバスクラブの小2~3の子供たち6人が、自分たちだけでレイアップシュート(ドリブルシュート)の練習を始めてそれを1時間近く続ける。生まれて初めてそのような光景を見る。

 

2月23日(土) 午前、某所でたまたま会った不登校児をもつ父親とそのことについての話になる。午後、急に思い立って、第1回クラブB&J(場と術の会)を行う。参加者は中学生である息子と近所の子、そして女房の親戚の母娘たち。午前中の話の子にもあるルートで誘ってみたがこれは不参加・・・


・・・当時の日記(ミニバスでの練習記録)をみると、そんな感じで今のクラブが始まっている。

 

23日に続いて翌月2日(日)に第2回目をやっているが(参加者:息子と近所の子と23日の午前中に話をした人)、このときにはこれを定期的にやることまでは考えていなかったと思う。

 

そのときには4月になるとミニバスクラブでの低学年の指導の5年目を迎えるのだと思っていた。

 

そしてまた(上級生チームに背をむけるようにして)『学び合い』の考え方による指導を続けて行くのだと思っていた。

 

しかし3月の下旬のミニバスクラブの練習において、独立する決心をすることになった。

 

独立しなければならない事態になった。

 

それで、今のクラブを始めた。

 

最初は数人で始めた。

 

だれも来ない日もあった。

 

あれから3年と2ケ月。

 

先週のクラブで初めて小学生だけで20人を超えて、それが今週も続いたので思い出した。

 

ついこの間までは、クラブに何人来るのかが関心事のひとつだった。

 

クラブ開始の時間にはいつも数人だった。

 

そして多くの場合は次第に集まって来て10人ちょっとぐらいにはなった。

 

中学生たちがまとまって来たときには全部で20人を超えたことはあった。

 

でもそうでない日は10人前後だった。

 

毎回参加する子もいたけど、あとは顔ぶれが違った。

 

いつも参加人数の動向が気になっていた。

 

少ないときにはこのままこのクラブも衰退していくのだろうかと心配したりもした。

そんなことを思い出した。

 

そんな日々が3年近く続いていた。

 

よくは分からないけれど、書きたい気分になったので書いてみた。

 

これも何となくの気分によるものだけど、最後に当時の日記の2月8日(クラブの名を思いつく10日前)のところにメモしている文章をそのままここに書き写してみる。

 

『すべては結果である。(中略)「プロ」ということの条件を若い方の中には「自分に厳しくすること」というふうに解釈する方がいるが、これはまったくの勘違いというものである。自分に厳しかろうが、甘かろうが、そんなことは評価には何の関係もない。』内田樹