素話に今日、女房は益田市に行った。
素話とは、絵本をもってそれを読む「読み聞かせ」とは違って、なにも見ずに、物語を物語るという行為をさすのであるらしい。
なんと演劇的な。
と、私が言うと、それとは違うと女房は言う。
でも私は同じものを感じる。
女たちはすごい。
物語るということだけで、同じ思いをもつものたちとともに、あこやらここやら、どこへでも女房たちは出かけていく。
そんなことを、女房が物語るその一日を終えて帰宅して、その話を聞くたびに思っていた。
女たちはすごいと。
なぜなら、物語るちからをもつのは、なによりもまずは、女たちなのだから。
それから話はバスケ教室のことに移った。
私たちのクラブは、物語るクラブである。
私たちのクラブは、いつでもだれでも、なんであってもまずは受け入れるクラブである。
なんでもかんでも受け入れる力量がある、そのことだけが、このクラブを成立させている。
こんな集まりが、この自分のクラブだけでなく、いろんなところにあればいいと思っていた。
ついさっきまで、それを思っていた。
でも、考えてみれば、毎週土曜日に行われるミニバス教室があった。
そこでは、大人たちもふらりとやって来ては、小・中学生たちとバスケのゲームをしている。
大人たちというのは、私を含めたおじさんたちである。
私を含めた、おじさんたちが、ふらりとやって来て、(そこに受け入れられて)ずいぶんと年の離れた子どもたちと真剣な勝負をしている。
それが男たちの物語るちからである。
男たちのちからも、見捨てたものではないのである。