bunbunの記

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アントン・ブルックナー

 

そのつもりはなかったのだが、東京に行くことになった。

 

(第1志望が京都の私大で、第2、第3が関東であったのだから、これも当然の成り行きではあったのだけど)

 

関東に暮らす年の離れた従兄弟に連れられて決めた下宿は、老齢の女性がひとりで暮らす家の2階の間借りだった。

 

その家の狭い階段を上がったところの、左右にそれぞれ襖1枚の引き戸があって、そのそれぞれの襖の向こうの、西側の6畳間が私の部屋で、東側の4畳半は清水という広島から同じく進学で上京してきた私と同年の男の部屋だった。

 

その部屋で私は卒業までの4年間を過ごしたのだが、もうひとつの部屋の清水はそれから2年も経たぬうちに私に挨拶もなくいなくなってしまった。

 

ただ1人の2階の間借り住まいになってから1年ぐらい経ったころだったのだろうか、銭湯のあとにいつもの食堂で夕食をと店に入ると清水がいた。

 

「なんでお前、ここにいるんだ?」

 

「いや、短大からその大学の4年制に移ろうと思ってたけど、それもあきらめてね。今は新宿のある会社で働いてるよ。飯食ったら、ちょっと俺のアパートに寄っていくかい?」

 

どこに行ってしまったのだろうかと思っていた清水は、私の下宿から100メートルも離れていないところにある、私が毎日のようにその前の道を通りもするアパートに部屋を借りていた。

 

「最近はオーディオにもちょっと凝っててね。これ聴いてみるかい?ブルックナー交響曲なんだよ」

・・・

 

アウトバーンを右手に出て低い丘陵地を通り抜けると、小高い丘を中心につつましく寄り添う家並みの向こうに写真で見覚えのある鐘楼が見える。聖フロリアン寺院である。私たちにとって、そこはローマ以来の由緒ある古寺としてではなく、アントン・ブルックナーがかつて住み、音楽をつくり、そして今はその地下に眠る「聖なる地」であった。

今度の日程中、リンツでの演奏会が市内のブルックナー・ホールでなくてこの寺院で催されると知らされた時、私は幸せに酔う思いであった。この日の午後、そこで私たちがその交響曲第7番を演奏するということが現実になろうとしているのである。

(中略)

午後4時、正確に放送のアナウンスが始まり調弦の音が静まる。10分後、係員に促されて舞台へ。いつ、どこから釆たのか広間いっぱいの聴衆、一番手前の下手に老修道院長が一人離れてすわっている。

私はかなり遅いテンポをとり、広間の残響と均衡をとりつつ演奏を進めた。十分な間合いを持たせて第2楽章の和音が消えた時、左手の窓から見える鐘楼から鐘の音が1つ2つと4打。私はうつむいて待った。ともう1つの鐘楼からやや低い音で答えるように響く。静寂が広間を満たした。やがて最後の鐘の余韻が白い雲の浮かぶ空に消えていった時、私は静かに第3楽章への指揮棒を下ろした。

朝比奈隆著「楽は堂に満ちて」より)


昨日、NHKのFM放送で、没後10年の記念番組として指揮者朝比奈隆さんの特集をやっていたので聴いた。

 

クラシック音楽の熱心なファンとはいえない私ではあるが、ブルックナーは好きで、ブルックナー交響曲の名指揮者としての朝比奈隆さんのことや大阪フィルとのあのヨーロッパ公演での鐘のことは知っていた。

 

放送を聴いているところに、女房と帰省中の娘がやって来た。

「何やってるの?」

 

朝比奈隆さんが指揮している大阪フィルの演奏だよ」

 

大阪フィルって〇〇さんがいたオーケストラよ」

 

「朝比奈さんって10年前に亡くなったからね。でもその直前までずっと大阪フィルで指揮してたみたいだけど」

 

「じゃあ〇〇さんも一緒だったんだね」

進学先の交響楽団で演奏する娘は、40年近く務めた大阪フィルをこの春に退団して郷里に帰った〇〇さんと、同じ楽器をする者として、演奏会の演奏をともにすることもあると言う。