クラブの時間、私はほとんどずっと見ているだけである。
まれに、一緒にやろうと子ども(たち)に誘われることもあるが、その誘いに乗ることもない。
子どもたちの輪から離れて一人で見ている。
ただ見ている。
何ヶ月も前にふと気づいたことがある。
子どもたちの輪から離れて一人で他の子どもたちの様子を見ている子どもがいた。
さっきまで一緒にやってたのに、そこから離れて壁際に立って一人でいるその子を見て思った。
仲間たちの輪の中に入らずに(入れずに)、一人で仲間たちの様子を見ているのはその子だけではないのだと。
だから、その子も孤独ではないのだと。
なぜなら、私もそうであるから。
離れて見る者が「常に在る」ということの意義は大きい。