「家の前の庭で、えらいいっぱい子どもたちが集まって遊んでいた」
夕食の食卓で私の父親が何気なく言ったその一言で、私はえらくうれしくなった。(えらい=大変に)
私の父親が日課としている犬の散歩コースの途中にその家はあって、その家の兄と弟は我々のクラブに参加してもいる。
今日の午後にその家の庭で遊んでいたのは、中学生である兄とその友達だったのか、または小学生である弟とその友達だったのか、それともその両方が混ざり合ってのことだったのかは、私は知らない。
それでも、父親のその言葉を聞いた瞬間に、私は目の前がぱっとはじけて開かれたようなうれしさを感じた。
繰り返しになるが、今日のその庭での様子は私にはわからない。
だけど、わからないでも、うれしいということはある。