21kmを過ぎたころはまだ2時間にはなっていなくて、これなら4時間でいけるかなと思ったんです。
それからどんどんどんどんと脚が重くなっていって、ゴールに着いときにはスタートから4時間52分が過ぎていました。
それでも、完走しました。
ゴールでは、帽子をとって少し頭を下げました。
何かに感謝したかったのです。
集団の最後尾から走り始めた私からは1万人のランナーが見渡す先までひしめき合って走っているのが見えました。
隙間を縫うようにして走っている人たちの前へと進んでいきました。
沿道には沢山の人たちの声援がありました。
吹奏楽の演奏がありました。
太鼓が鳴り響いていました。
いろんな仮装をした人も走っていました。
沿道の家の前でアコーディオンを弾いている人もいました。
声援を送る何人もの人の手にタッチもしました。
まだ余裕があった往路では楽しいばかりだったそれらが、しだいに辛くなってゆく復路では心にずんずんと響いてきました。
周りのランナーたちも辛そうです。
「伴走者」と「視覚障害者」とそれぞれの背中に表示した2人が私を追い抜いていきます。
沿道の声援はどこまでも続いています。
太鼓も鳴り響いています。
法螺貝を吹いている人もいます。
何度も目頭が熱くなりました。
なんとか帰り着いた奈良公園はとても美しくて、このときを大切に走ろうと思いました。
そのころにはタイムなど、どうでもよくなっていました。
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話には聞いていた仏像がどれもすばらしかった。
わが子たちが小学生の頃に家族で訪れてから10数年ぶりでした。
大仏さんが右手を上げて、「やあ、よく来たね」と仰っているようでした。
夜はホテルの近くの銭湯に入りました。(実に28年ぶりの銭湯でした)
マラソンを終えた夜には、息子と会って3人で夕食をとりました。
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やりますよ!