bunbunの記

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この1年を振り返ってみたらこの1年だけでは済まなくなりました

 

帰省してすぐに体調を崩した娘の病がうつったのか、大晦日の夕食も食欲がないままに終わったような今の自分ではあるが、年末でもあるのでこの1年を振り返ってみることとする。

 

なによりも大きかったことは、とうとう息子までもが進学で大阪へと旅立って、我が家に子供が1人もいなくなったことである。

 

家には年寄り夫婦と、そしてその次世代である、われわれ準年寄り夫婦の4人だけの生活となってしまった。

 

このような状況になると自らの年齢にさらに拍車を掛けるようにして、茫漠とした人生の寂しさとでも言うような感覚が日々の暮らしの中に進入してくる。

 

だからという訳でもないけれど、今年も結構ひたすらに子供たちの暮らす土地へと夫婦で出向いていった。

 

それにしても不思議なものである。

 

3年前に娘が進学した高知では、その1年目に、このブロググループでブログを書いている(最近はとんと見かけなくなったのではあるが)Kさんと、甲野善紀さんの講習会場である県立武道館の畳の上で初めて顔を合わせて、その夜には日付が変わるころまで2人で高知の街を飲み歩いていた。

 

ところで、以前から関心を持っていた古武術家の甲野善紀さんの講習会が隣県の福山市であると知り、息子を誘って1泊2日の行程で出かけて行ったのが今から5年前のこと。

 

そして、そのおよそ半年後、同じ広島県東広島市上越教育大学の西川教授を招いて開催された『学び合い』の会の次の日に福山市で甲野さんの講習会が行われることを知り(東京在住の甲野さんであるので年に1回あるかないかの福山での講習会なのです)、これまた息子を誘って(『学び合い』の会の最中は1人でぶらぶらしていた息子と合流して)、その夜は近くに暮らす妹夫婦の家に泊まって、その翌朝に電車で1時間ばかりの福山市へと向かったのが2回目。

 

3回目の福山へは、やはり息子とであったのだけど、これは勢いのままに参加。

 

さらに参加するつもりは特にはなかったのだけど、女房と高知へ遊びに行こうとしていた秋の3連休の2日目に、高知市内で甲野さんの講習会があることを知り、ブログではすでにお近づきであり合気柔術をたしなむKさんを誘ったところ、わざわざ車で1~2時間(?)掛けてやって来たKさんと初対面の挨拶をしたのが、その4回目の甲野さんの講習会だったのである。

 

高知のKさんと初めて会ったその翌月(翌々月?)には、Kさんが主催する高知での『学び合い』の会に参加して、先に書いた西川教授やKさんと共に高知県教育委員会事務局の2次会のカラオケルームへと乱入したりもした。(もちろん和やかにではあるが)

 

次の年には、同じく高知のKさんが主催した『学び合い』の会に講師として招かれた神戸のKさんを知ることとなった(神戸のKさんもこのブロググループでは知ってはいたけれど初対面であった)。

 

その会の夜の懇親会で、酔いの勢いのままに、今度会う場所は、高知のKさんと神戸のKさんと私とがともにその著書やブログを愛読している、元神戸女子学院大学教授の内田樹(たつる)さんが最近建てられた道場にしようと、ともに語りあったりもしたのだった。

 

そして、この春の息子の進学。

 

新居の準備と、入学式のために息子と女房と大阪へ行く。

 

その大阪へ行った夜に、これもたまたまであるのだが、神戸のKさんが『学び合い』関係で呼びかけて飲み会を行うというので参加して、知らない土地で、知らない(神戸のKさんを除いて)人たちと飲食をともにする。

 

その翌日は、新居の準備で買い物に奮闘。

 

翌々日は入学式。その夜は息子を後に残してホテル泊。

 

さらにその翌日は、先の内田樹さんの新道場(兼住居)である凱風館を一目にとばかりに、JR線を途中下車する。

 

訪ね当てた道場の前には、同じく訪ねてきた2人の男女がいて、その2人と少し話をした後に、その2人が道場の玄関へ入って行くのでつられる様にして後に続くと、これから始まる様子の子供たちの合気道教室の講師である若い女性が良かったら見学をと言う。

 

まさか中に入ることなどは思いもしなかったのだが、これからの時代の社会としてのモデルの核にしたいとの思いにより建てられたこの凱風館の道場で、子供たちのお稽古を見学することになった。

 

それにしてもやはり不思議なものである。

 

わが子達が巣立って行った高知でも大阪でも何かが歓待しているような、この感覚。

 

(ここで急いで補足のようなものを・・・内田樹さんは4年ほど前に新潟で行われた『学び合い』フォーラムに講師として招かれていて、そのときのことを好意的な内容で自身のブログに書かれているのですが、そのブログの最後のところの「最前列で猛然とノートをとっていた」のが神戸のKさんなのです。http://blog.tatsuru.com/2008/08/10_1154.php そして、そのフォーラムは私が益田市で西川教授に初めてお会いした数日後に西川教授を主催者代表として開催されたものでした。さらに内田樹さんと甲野善紀さんは内田さんの新道場に甲野さんを講師として招くほどの親しい間柄なのです)

 

さて、子供達が巣立ったことに次いで、自分にとって特筆すべきことは、走り始めたということである。

 

初めて15キロの距離を走ったのが今年の1月の末。

 

そしてこれも初めてのフルマラソンを走ったのが今月の9日のこと。

 

きっかけは、今から1年半も前のことであるが、身近に『学び合い』に関心があるものを求め続けていたあの頃、ツイッターで近隣の市町村名でもって検索をしていたら、妙に同じような考え方を持っている人を見つけたのだが、その人は隣の市の若き保育園長であって、それから交流が始まり、その保育園の見学や、保育園が主催する研修会などに参加もしたりしたのだけれど、何よりも彼から影響を受けたのは、走るということだった。

 

1月の15キロ走もその保育園長が計画したものであって、それから私はじわじわとより長い距離を走ることに導かれていくことになったのである。

 

そうこうする内の、この秋のこれも思わぬ職場でのランニング部の設立。

 

そして、第三者にはなかなか得体の分かりにくいであろう「顔マラソン」と言うものの出現。(これは来年早々に実現しそう)

 

ちなみに、クラブB&Jも6年目に入ろうとしている。

 

私がいつもお稽古に行っているミニバス教室も、小学生から大人まで、年齢層がずいぶんと厚くなって来た。

 

バスケの矢上中年隊もますます盛んである。

(なんだか、書いているうちに元気になってきた。書きながら飲んでたお酒の影響かもしれないけれど)

 

では、みなさん、来年もよい年でありますように!