『私としては、そういうつよい危機感をもった人たちが自然発生的に「学びと労働の拠点」を構築して、グローバル資本主義の放つ「圧倒的な合理性」に対抗するというかたちしか、短期的な戦略としては構想することができません。そして、そのような「学びと労働の拠点」は(中略)自然発生的・同時多発的に形成されつつあるのではないかと思っています』
私はそのなかの「自然発生的な学びと労働の拠点の構築」ということに、反応しました。
私は、そういうことを目標にしたいのだと思います。
ところで、私は今、100kmマラソンにエントリーしようとしています。
フルマラソンの42kmなら、それを目標として、その手段を案ずることなく講じることができました。
日常のなかで、その半分の距離の20kmとかを走って練習をすると言うことは実は容易いことなのです。
だけど、その距離が100kmともなると、それを達成するための手段が見えません。
あまりにそのスタートからゴールまでが遠すぎるのです。
手段が容易く手に入るようには思えないのです。
だけど、今はそこに魅力を感じています。
手段が容易く手に入らないような、遠い目標ということに。
それは、たとえば「100kmの完走」であり、あるいは「自然発生的な学びと労働の拠点の構築」という、遠い目標なのです。
(ちょっと、二つのことを無理やり結びつけたような文章ですけど、まあいいや)