(旅行記の投稿順が③-①-②-④となっています)
前回に続いて、旅行2日目から3日目の前半まで・・・
2016.12.24(土)
8:00 浅草のホテル発
昨夜の浅草演芸ホールにもう一度立ち寄る。
演芸ホールの上階には浅草フランス座があるようで、建物の横にはこんな掲示があった。
写真では分かりにくいのだが、中央上に北野武(ビートたけし)その右下に長門勇・・・そしてこの2日後にはこの2人の写真にまた出会うことになる。
2kmほど歩いて上野公園到着。公園内にある国立科学博物館へ。
数年前に、この博物館が企画する「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト(*)」のために、クラウドファンディングで資金援助を呼びかけていることを知った女房が僅かな金銭を送り、そのリターン(特典)として博物館の招待券を2枚受け取っていたのだが、その招待券がこの旅行を思い付くきっかけにもなっていた。
(* 当時の舟と航海術、海流や自然環境などを研究して解き明かしながら、実際に古代舟を作って実験航海を行い、3万年前の大航海を再現しようとするプロジェクト)
博物館では、時間の関係もあって特別展は見ずに常設展だけを見たのだが、さすがは「国立」である。実に多種多様で膨大な量の展示物であった。
上野から都営地下鉄:銀座線で、銀座へ。
銀座には画廊がたくさんある。そのうちの2店ばかりに入る。
(ネットで銀座の画廊の数を調べたら優に100店を超えていた。この東京旅行の目的は「人と金と物が集中する東京を体感しよう」と言うことでもあったのだ)
江戸時代後期の思想家、佐久間象山の私塾跡にも行ってみる。
そこには銀座の歩道に説明板だけ。(それでも喜ぶ女房)
都営地下鉄:銀座線で渋谷へ。渋谷から東急電鉄:田園都市線(昔は新玉川線という名だった)で三軒茶屋へ。三軒茶屋から東急電鉄:世田谷線で世田谷へ行く。
写真は世田谷駅。電車は新型になり、道路も拡張され、周囲の建物もずいぶんと変わったけど、駅のたたずまいは学生時代と同じ。
下宿の近くにある世田谷城阯公園。(左手奥に世田谷区役所が見える。下宿は区役所とこの城趾公園との中間あたり)
学生時代の4年間を過ごした家は今はなく、あの頃とは違う人の家が建っていることは、20年ほど前に訪れたときに知った。
ここに来るのは卒業以来2度目になる。
下宿のあった場所に隣接する家の前で男の人が自家用車を洗っていた。その横では子供が遊んでいる。
隣家であればその生活音などから家庭の様子が何となく分かるものだけど、その家は私が借りていた部屋とは反対側にあったし、駅のある商店街や通学する大学に対しても逆方向だったのでその家の前を歩くことも少なく、当時は何も知ることはなかった。
この人はあの頃もここで暮らしていたのだろうか。そうであれば小学生ぐらいだったのか。
そんなことを思いながら話し掛けてみる。
「昔、隣にあった家で間借りをしていたんです。もう30年以上も昔のことです。その頃にもお宅はあったんでしょうか」
「そうですか。ここは自分で3代目になります」
何度も空を見上げては、この空の下で暮らしていたんだ、と思う。
以前、このブログにこう書いた。
『 私が住んでいた下宿の近くには井伊直弼の安政の大獄によって処刑された吉田松陰を祭る松陰神社があり、さらには何度か散歩がてらに訪ねたことがある、これもまた下宿の近くの豪徳寺には井伊直弼の墓所があるというのだから、そこに行けば学生時代の若かりし頃の思い出に浸る私と、歴史好きの女房とが同時に満足することができる 』
歩いて2km先の大学へ向かう。
日は暮れて暗くなって来たし疲れもしたので途中から東急バスに乗る。
懐かしい大学構内を歩いて、東急電鉄:田園都市線で渋谷へ戻る。
気がつけばクリスマスイブの渋谷だったのだが、店選びに迷いながら人混みの中をずいぶんと歩き回った末に、繁華街から離れた客の少ない和食店に入る田舎者の2人であった。
2016.12.25(日)
6:30 渋谷のホテル発
青山を経由して表参道に入る。
グッチ、サンローラン、シャネル、ルイ・ヴィトン・・・表参道には高級ブランドの本店などがずらりと並ぶ。
表参道から明治神宮に入る。
都市の中の広大な神域。
『 明治45年7月30日に明治天皇さまが、大正3年4月11日に昭憲皇太后さまが崩御になり、御神霊をおまつりしたいとの国民の熱誠により、大正9年11月1日に、両御祭神と特に縁の深い代々木の地に御鎮座となり、明治神宮が創建されました 』(明治神宮のウェブサイトより)
『 東京は帝国の首府にして世界にたいして帝国を代表せり故に帝国を鎮護せらるべき地点は帝国を代表する帝都を鎮護せらるべき地点たるなり 』(明治神宮経営地論)
神宮参拝後、新宿まで歩き、小田急電鉄:小田急線で静岡県伊東市へ向かう。
(この日、ここまでの歩行距離5km)