bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

無重力状態

 

PTAの役員会が終わりました。新会長などもほぼ決まったようで、私の役目もほとんど終わったようなものです。

 

何かがすっぽり私から抜けでたような感じがしています。

 

帰って夕食につくと、女房が「ご苦労さんでした」と言いました。

 

今日の役員会で「20年度の活動の感想と申し送り事項」として各部長さんからの報告がありました。そのなかで広報部長の感想として(発言としてはなかったが、役員会資料に)「原稿を書き直そうとして確認の電話をしたら、自分の思いだからそのままで、と言われた。思いの詰まった文をやはり勝手にかえてはいけないと思った」と記されていました。

 

年度の最初に発行するPTA会報誌には、恒例により1面にPTA会長の文章を載せます。そして、広報部長の感想に書かれていることは、私の原稿のことです。(電話を受けてそう答えましたから)

 

その文書を書き写します。

 

「共生と自立」

 

今年の三月までの四年間、バスケットボールクラブの小学校低学年の指導者として、子どもたちの様々な姿に接してきました。

 

昨年四月、入部したばかりで運動靴の紐をうまく結べない子が、「結び方を教えて」とやって来ました。「友だちが教えてくれるよ」と答えると、一人で壁際に行って何度も結んでは解いてを繰り返していましたが、やがて私の側にやって来て、黙って靴の紐を結んで見せました。

 

そのような子どもたちは、数ヶ月もすると、自分たちだけで試合を続けることができるようになりました。 

 

子どもたちはいつも、全員で輪になってチームを分ける相談をし、それから試合を始めます。試合ではファールを連発する子もいましたが、いつの間にか子どもたちは、そのファールをかわしてパスをまわすことができるようになっていました。

 

クラブの指導者になって四年目の昨年の春、子どもたちの関わりを第一とする考え方に指導の方向を変えました。練習時間の大半が子どもたちの様子を見るだけの時間になりました。

 

そして、子どもたち自身を主体とするその練習の日々を重ねて行くうちに、子どもたちだけでなく、私自身もまた変化していると思うようになりました。

 

三月になってPTA会長を選出しなければならなくなりました。多少じたばたしましたが、意外と前向きに、会長職を受けることができました。