bunbunの記

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今日の私+若干息子

 

今日は一日休みをとる。

 

朝寝をして、ゆっくりと新聞を読んだ後に身支度をし、まずはPTA会長のあて職である学校給食の会議に出席。

 

会議の会場に入れば、「やあやあ、もと私の同僚である教育長さん、ご機嫌いかが」、「これはこれは、学校教育課長さん、去年の某市での『学び合い』の会以来ですね」・・・とはいかず、すでにみなさんお揃いのなか、すごすごと自席につく。

 

会議が終わり、教育委員会事務局に寄り道。

 

教育長と、この春県の教育委員会へ単身赴任する、私にとっては社会教育主事講習からの知り合いであり、教育長にとっては数年前の県西部生涯学習センター時代の部下であるSさんの話をしたいと思ったけれど、教育長さんは先ほどの会議に続いて教育長室で教育委員長さんや副町長さんと打ち合わせのご様子。(そういうお立場なんですね)

 

しかたがないので(うそよ、ごめんね)、教育委員会事務局から私の住む地域の、この度りっぱに新築された公民館に異動する予定のH君らと無駄話。

 

その後、教育委員会事務局を後にして、ちょっと用事あって隣町に向かって車を走らせる。

 

「これからはわたしのくらぶのけっかをだしていくことがひつようだだれもがむしできないものをつくりだすことによってこれまでわたしがつづけてきたたねまきがおおきなこうかをうみだすことになるのであろうそれにしてもかいちょうしょくもおわりきょういくぎょうせいやがっこうげんばとのかかわりがなくなるがそれによってみずからのくらぶのなかにじこまんぞくてきにとじてしまうようではいけないけれど・・・(以上運転中の妄想でした)」

 

時間もあったので温泉へ行く。

 

雪がちらほらする露天風呂につかり、そばとおむすびのセットを食べて帰宅。

 

帰宅すれば待っていた息子を乗せて高校入学予定者説明会へ(女房は都合が悪かったもので)。

 

教科書を購入し、会場の高校体育館の指定された席に息子と座る。

 

開始時間まで間があったので教科書を読む。

 

まずは英語の教科書の、「赤毛のアン」の誕生秘話。

 

赤毛のアン」の作者であるMaud Montgomeryは、アンと同じく赤ん坊のときに両親を亡くした。その両親の記憶を持たない作者の処女作には、"To the Memory of my father and mother." と記されてあるそうで、この文章には続いてMaud was sad because she could not share her happiness with her parents.とあった。(ここでのher happinessとは自作が始めて出版されて世に出た喜びのことです)

 

次に国語の教科書の大岡信の文章から、「私はむしろ、言葉というもののささやかさを強調したい。一つ一つの言葉はまことに頼りない、ささやかなものだということを言いたい。しかしその、頼りなくささやかなものの集まりが、時あって驚くべき力を発揮するところに、実は言葉の昔も今も変わらない偉大な力があるのだった。」

 

なるほどなるほど、有意義な説明会であった。

 

説明会が終わり、同じくご子息と一緒に説明会に来ていたHさんと吹奏楽部の顧問の先生を訪ねて学校保健室へ行き他校に異動される顧問の先生にお別れの挨拶。

 

そして、実にHさんは私がこの高校での3年生のときに新採の養護教諭として、建物は建て変わったとは言え、同じく保健室に勤めていた人であった。(以上終わり)