bunbunの記

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学校だより

 

数週間前に知り合いのある中学校教師が、私がこのブログに書いた文章をあることに使っても良いかと電話してきたので了承しました。

 

何に使うんだろうと思っていたら、先日、その教師から学校だよりを添付したメールが届きました。

 

とてもうれしいので(本人の了解を得て)全文を載せます。

 

つながり、ひろがるということは何であれうれしいものです。

 

(なお、文中に「バスケット・クラブを主宰」とありますが、私たちのクラブはバスケットに限定したものではありませんので、その点はご注意ください)

 

「誰かがいるから、仲間がいるから」

 

 ある人の「ブログ」を読んでいると、興味深いことが書かれていました。「ブログ」というのはインターネットのサイトに載せられる個人の記録で、しばしば日記が公開されています。さて、ある日記に書いてあった興味深いこととは何か。日記の主は、地元でバスケット・クラブを主宰しているそうです。クラブを始めた頃は人数が少なくて、参加者が1名(中学生)だったこともあったのだそうです。その日、彼らはどうしたか。二人でパスをしたのかと思いきや、コートの両端にあるバスケットボールのリンクに向かって、「それぞれ別々に」練習をやり続けたのだそうです。しかも「3時間」ずっと。その人は書いておられます。「一人なら30分も続かなかったと思います。一人ではないから続いたのだと思います。(略)一人でないってどういうことなんでしょう。」と。

 

 誰かがいるから、いてくれるからこそ力がわくということ、やる気が出るということ、苦しくてもがんばれるということ、身近なところにたくさんあります。例えば水泳部の練習。水泳部員は毎日3,000メートルから4,000メートル泳ぎます。水泳なので当たり前ですが黙々とひたすら泳ぎ続けるのです。体育では、スポーツテストを控え、最近は1,500メートルの長距離走に取り組んでいます。これもまた黙々とひたむきに。確かに記録を目標にしている個人競技ではあるのですが、一緒に泳いだり走ったりしている仲間がいるからこそ、励ましてくれるコーチや周囲の人々がいるからこそできるのではないでしょうか。

 

 学校図書館には、今年4月から学校司書さんに毎日来ていただいています。図書館は1年前とは大きく変わり、多くの生徒が座って本を読む姿が見られます。きっと人がいる温かさが本に向かおうという気持ちを呼び起こすのでしょう。勉強も同じかもしれません。学校で一緒に学んでいるからこそできているのかもしれません。誰かがいるということ、一人じゃないということの意味とその大きさ、当たり前で見過ごしがちなことのありがたさに気づかせてもらった日記でした。

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(ありがとうございました)