bunbunの記

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書くことはあえてでも書く

 

大学を卒業し、地元の役場に就職しました。

 

初年度は、ゴミ、し尿、野犬、etc.を担当しました。

 

2年目に、町立の知的障害児施設に指導員として異動しました。

 

「先生」と、呼ばれ、呼び合う、5年間をそこで過ごしました。

 

29歳の直前に(4月4日生まれなもので)、その施設から地域の公民館に異動し、その1年後には教育委員会の社会教育課に異動となりました

 

生涯学習社会が到来した時代とのことでした。

 

〇〇大学からD教授がやってきては、「〇〇町生涯学習計画」の策定への指導や、それに関する講演をしていました。

 

当時の教育長などと一緒に、D教授の研究室を訪ねて、計画書の完成に向けてのアドバイスを頂いた事もありました。

 

しかし、私は、D教授の言うことが最後まで、まったくわかりませんでした。

 

(流れは前後して・・・)

 

今から数年前の1年間、どうしたことなのか、かって自分が20代を過ごした知的障害児の施設に勤務することになりました。

 

私は、高1から高3の男の子4人を担当しました。

 

4人はそれぞれに、とても個性的でかつ重い問題を抱えていました。

 

彼らの問題を、わが身をもって体験させられる日々を送りました。

 

なにごとも思い通りには行かないと言うことを、改めて叩き込まれたような思いをしました。

 

(と書いてみましたが、実は自分ならなんとかできると思ってもいました。『学び合い』に出会うまえでしたし・・・)

 

教育委員会での5年間を終えて、役場の戸籍係に異動していたころのことだと思います。

 

新聞の片隅にD教授がある容疑で逮捕されたと言う記事が載っていました。

 

さみしく、なさけなく、そして許されない容疑でした。

 

(D教授はネットで調べるところによると、その後に逝去されたようです。ご冥福をお祈りいたします)