初めて授業参観に訪れた保護者は面食らった表情でこう言いたげだ。「これって世に言う学級崩壊じゃないの?」(中略)教員が決めた集団ではないから、メンバーの入れ替わりは当たり前。教科や単元によってグループは常に形を変えていく。(中略)勉強のよくできる子が、普段は目立たない子に声を掛けるのを目撃した。「おまえに教わるとは思わなかったよ」。たった一言をきっかけに、その子の新たな一面に光が当たり、子どもたちの中にある固定観念を揺さぶっていく。(中略)八幡小の教員は口をそろえる。自分たちの知っている子どもの姿なんてごく一部だと思い知らされた。『学び合い』で一番変わったのは、われわれ自身かもしれない。
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今から3年前のある朝、地元紙の山陰中央新報でこの記事を読みました。
そしてそれによって私は、ミニバスケットボールクラブでの低学年相手の最後の1年間をずっと、その『学び合い』で通すことになりました。
今日、その新聞記事をネットで読み、先日行われた東広島市での『学び合い』の会において、立ち話や懇親会で私が何人かの人に(興奮気味に)話したのは、独立して始めた今のクラブでのことではなく、その前のミニバスでの2~3の出来事であったことに思いが至りました。
それは、結局、確立されたバスケクラブの世界で行った『学び合い』の1年間とは違って、異年齢のだれでもなんでもありのクラブを始めたものの、その自ら設定した自由さゆえに自分自身が戸惑い、『学び合い』の手前のところにとどまり続けたこの2年間であったために、この場で話すことができるのはミニバス時代のことであったということなのだろうと思います。
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今日、私の職場の病院内で部屋の引越しをしました。
病院でのこの4年間は3人だけの事務室でしたが、これからは11人の事務室で仕事をすることになります。
『学び合い』の会の後の懇親会で西川先生と、私がこの度の人事異動で派遣先の病院から役場へ戻ることはなかったという話になりました。
「病院で、『学び合い』ができないかなあ。たとえば、患者が患者の面倒をみるとか・・・」
「うーん、それは難しいけど、あの病院に入院したら他の患者たちと気分良く過ごすことができる、とかならできるかもしれませんね」
本当は仕事よりも、もっとクラブをやりたいのです。
しかし年食った分、責任も重くなっていき、それもままなりません。
ならば仕方がありません。
職場の11人の、そして病院職員100人の『学び合い』を展開していきます。
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ミニバスを飛び出して独立した後のクラブを2年間続けることができました。
2年間続けられたことで、ようやく次のステップに進むことができると思えます。
(異年齢のだれでもなんでもありは変わりません)
これもみな、子どもたちのお陰です。
(今年から来ているおばあさんも!)
そして、先日の『学び合い』の会で、『学び合い』に関心をもち、『学び合い』を実践している生身の人たちと接することができたことも、次へのステップに進むための大きな推進力になっていると感じています。
先はわからない。でも、やるべきことはやっていきます。