N先生は息子が小学3年のときの担任でした。
その年の秋のころ、ひょんなことからそのN先生と、息子の学校での日記帳を通じて文通をするようなことになりました。
その年の二年前にはおじを亡くし、その年の一年前にはそのおじの息子を亡くした、その頃の私でした。
それを思いだして当時の息子の日記帳を引っ張り出してみました。
よくもあんなに「何回も長々と」書けたものだと思いました。
あるときには、こんなことまでも書いています。
”去年の10月末に、いとこが自死しました。その日は、そのいとこの父(私にとっては叔父)の一周忌の法事の朝でした。仏事へ出向く朝とはいえ、いつもの日曜日の朝として、朝食をとり、横になって毎日新聞のアメリカ合衆国への同時多発テロに関連した本の書評を読んでいました。電話が鳴り、さっきまで横になっている私の背中に乗っていたはずの息子が受話器をとり、「ん?、おるよ」と言いながら私の父にかわり、そしてその父が、「自殺した?!誰が?〇〇がー!」・・・・”(文章はさらに続いていますが、省略します)
なぜ今そのN先生のことを書くのか・・・
そのN先生は当時は講師でしたが、その年の採用試験に合格して翌年の春には教師として遠くの他校へ異動しました。
それから数年が過ぎた2年ぐらい前に、そのN先生はこの盆地内の隣の地域の小学校に帰ってきました。
そのN先生がいる小学校のある教師が、昨日、私たちのクラブに見学に来ました。
そして私はその教師に、「息子のかっての担任だったN先生によろしくお伝えください」と言いました。
そういうことです・・・
4ケ月ばかり続いたN先生との文通は次のようにして終わりました。
”結局、これまでいろいろ書いてきましたが、多くはわかってもらえなかったんだとは思います。ただ、この様に書くことができたことは、この私のこの時期としても本当にありがたいことでした。とても感謝しています。
人が生きていくということは、とても不思議なことです。
これまで、私が書いてきたこと、それもあなたに書いたということを、私のこれからの後半生でずっと考えていきたいと思っています。
ありがとうございました。
しかし、たくさん書いたものだと、これまでのものを読み返しながら、なつかしく思います。”
(この私の文章に対しても、いつものようにN先生の誠実な文章が書かれてこの文通は終わりました)
しかしN先生、まだまだ続いていますよ!