この春から進学で遠くに暮らす娘が3ケ月ぶりに帰省しました。
3ケ月も不在の生活が続くと、その娘が帰ってくるのだと思うだけでなんだか奇妙な心持ちがしましたが、帰ってしまえば今日も昨日に続いて娘はずっと我が家に居たんだ、というように思えてきます。
ところで、娘のことにつけて思い出しました。
娘が小さいころには、よくアニメの主人公などの絵を描いてやりました。
そして、娘にそのたびに言われました。
「違う!」
私が原画を見ながら描き始めるのが、その主人公の「瞳」だったりするので、娘はそれは原画の全体像とは違う、と言うのです。
今夜は、お盆のイベントのための山車作りを自治会で行いました。
山車のマスコットを作っていても思います。
作製するということは、完成するまではずっと過程にすぎないのです。
でも、見ている人はその過程に完成を見ようとします。
それから「意味」というものも。
今夜もマスコットの前方に伸びた右手から、さらに手と腕を作るための竹の軸が長く出ていたので、その軸の先に三角形の旗のようなものをつけました。
「これはなんの意味があるの」
さっそく見ていた人に聞かれました。
そんなこと、分かりません。
全ては未だ過程なのです。
その意味は完成して初めて(おそらく)分かるものなのですから。