数学が得意な娘は、大学でも数学の試験は面白いと言う。
高2の息子は、国語の試験の日には「あー面白かった」と帰宅するなり言う。
しかし、その息子も、数学と英語の試験の日には帰宅するとただ一言「終わった」と漏らす。
(以上、すべて女房談)
昨日の午後、息子と近隣のタタラ製鉄の遺跡を訪ねて歩く。(車ですけど)
聞けば、某大学が高校生対象に募集している郷土史に関するレポートに応募したいらしい。
「だって、レポートが選ばれると奈良にタダで行けるんだよ」
と、息子は言う。
その遺跡巡りの途中で、女房の実家に寄って義父(息子にとっては祖父)と近くの谷間に行く。
義父はその谷間で、明治の時代に途絶えたものの、戦中の鉄不足でわずかに復活したタタラ製鉄のためのカンナ流しの作業に従事していた。
カンナ流しとは、山肌を崩した土を水路に流しながら、土砂と砂鉄とを分離させて、タタラ製鉄に使う砂鉄を取り出す作業のこと。
義父は、今は田んぼが続いているその谷間のところどころを示しながら、ここに水路があり、ここに土砂と砂鉄を分離させるための最初の池があって、と説明をする。
そして、その後の車中にて・・・
「お父さん、レポートってどうやって書けばいいんだろうね」
「うーん、そうだなー。自分の大学は卒論書かなくて良かったし、ゼミにも入らなくても良かったしなー。だから書いたことないんだよなー」(なんとなさけない)
そして、今夜、息子が言うのには・・・
「今日、〇〇先生に話したら、昨日お祖父さんがお前に話してくれたことを中心にして、それにいろんなことを付け加えるように書けばいいんだよ、と言われたよ」
いえ、もちろん私もそれは思っていました。
でも、父親がそれを言うよりも、他人(ここでは学校の先生)が言ったということが肝要なのでございまして・・・。
(で、いったい私は何を書きたかったのでしょうか。それは「学ぶということ」だったような気がするのですが・・・)