bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

大社⇔神社⇔八幡 (←これは連想です)

 

どうして世の中の出来事というものは、その2つあるいはそれ以上の事々の間にはなんの因果関係もないのに、それらがまるで申し合わせでもしているようにして起こるのでしょうか?

 

このブロググループのママさんが、群馬県高崎市あたりの自宅から家族で当県島根の出雲大社に遠路はるばるやって来られるというので、ぜひその際には一畑電車で大社詣でを!などと私のブログに書いていたのは数週間前のことでした。

 

今日の昼休みに、その旅行から帰宅されたばかりのママさんのブログで大社の蕎麦屋の様子などを読み、それから西川先生のブログを開いたら、そこには「一畑電車に乗りたいと言う息子の希望により行き先を決定した出雲大社を含む5泊6日の旅行を終えて(新潟県へ)帰宅した」と書かれていました。

 

(ママさんと私とのブログ上のやり取りを読んだ西川先生の無意識が旅行先の決定を左右したということはあるかもしれないけれど、私としては次に書こうとするかっての出来事を今回のことに合わせてみれば、なんでなんだろうという冒頭の疑問がささやかに湧き上がって来るのです)

 

今からちょうど2年前の8月の初め、私が群馬県高崎市立八幡小学校の取り組みを紹介した新聞で『学び合い』に出会ったその翌年のこと、当県益田市で行われた『学び合い』の会で西川先生に初めて会いました。

 

その数日後には、私は全国高等学校総合文化祭島根県代表として参加した娘の所属する吹奏楽部の演奏を聴くために女房と息子と一緒に群馬県高崎市にいました。

 

そしてちょうどその日には、群馬県のお隣の新潟県では西川先生が代表を務める『学び合い』フォーラムが開催されていました。

 

(しかも、そのフォーラムでの講演の講師は内田樹さん。ところで、内田樹さんは古武術家の甲野善紀さんと親しいのですが、今年の3月に西川先生をお招きしての広島県東広島市での『学び合い』の会の翌日には、たまたま東広島市から電車で1時間の福山市で甲野さんの講習会があり、『学び合い』の会に参加した私は甲野さんの福山市での講習会に思いもかけない3回目の参加を果たすことになったのでありました)


さて、これから数日後には出張で出雲大社のある大社町*の隣の平田市*に初めて宿泊するので、翌日は帰路の途中にある出雲大社にお参りすることにいたしましょうか。

 

(*いずれも合併して出雲市になる前の名称)