昨日も書いたように、クラブの最初ころの時間では、クラブ常連の子たち4人(小6女子2名、小3男子1名、小2女子1名)は壁際に座り込んでいました。
そのときは、半年ぶりぐらいに参加した中3の女子3人はバレーのパスをしていました。
壁際に座り込んでいた子たちは、その中学生たちを眺めているような様子でいました。
中学生たちが座り込んでいる小学生たちのところへ近づいたので、一緒にバスケなど始めるのかと思いましたが、そうはならずに、やがて中学生たちは水分補給と涼むためにか、体育館のフロアーから出て玄関のところで座って休み始めました。
そうすると、座っていた常連の小学生たちは立ち上がって4人でバスケの練習を始めました。(中学生たちが活動しているので、自分たちの場所がなかったというのではありません。活動する場所は最初から十分にありました)
しばらくすると、中学生たちはフロアーに戻ってきて、今度はその中学生たちが壁際に座って、小学生たちの練習を眺めていました。
一方が活動すると、もう一方が停滞して、停滞していた方が活動すると、活動していた方が停滞するというように見えました。
その様子は興味深いものではありましたが、今朝目覚めながら私が思ったことは次のようなことでした。
中学生たちがフロアーから出て行った後に、クラブの常連の小学生たち4人が始めたのはバスケの練習でした。
いつもは、すぐにバスケのゲームを始めるのに、そのときは自分たちで考えてなかなか良い感じの練習をしていました。
私は、なんとなくではあれ、そう思いながら見ていました。
でも、私のなかには、中学生たちと小学生たちとが交わっていくことへの期待のみが支配していました。
そのことへの拘りを抱えながらクラブの時間を過ごしていました。
常連の小学生たちが始めたバスケの練習に対して、もっときちんと認識する必要がありました。
そのことを今朝、目覚めとともに思いました。