例年になく早い夕食が終わり、まだ十分に時間があったので、ほろ酔い加減のままに雪の外に出て、往復1時間かけて歩いてお宮まで行ってきました。
これが年が明けてからなら初詣だけど、まだ明けてないから仕舞詣だ、などと思いながら。
(初詣が祈願なら、仕舞詣は感謝だ、などとも思いながら)
ひたすらに歩いていればいろいろなことを考えます。
「人間(たち)はなぜ、生まれて、生きて、死んでいくのか」
「その、人間(たち)というものは、どういうものなのか」
なんてことも。
お宮でお参りしてからの帰り道は、まずは小学校の、誰の足跡もない雪面の校庭を横切りました。
(ここで過ごしたあの小学生のころの日々)
(小学生のころから、そして大人になってからも毎年参加している地区民体育大会)
(毎年、この校庭で行われる、お盆のイベント)
それから、校庭の隣にある、毎週木曜日に私たちがクラブをやっている体育館の前まで行って立ち止りました。
(ミニバスクラブから独立して今のクラブを細々とやり始めて半年が過ぎた、今から2年前のこと、いつもの様にクラブをやるためにこの体育館に来たら、体育館に上がる階段に、かってのミニバスで教えていた何人もの子供たちが待っていて、「コーチ、みんなを連れてきたよ」と、同じくかってミニバスクラブで教えていたある女の子が私に言った、そのときの光景が浮かんできました)
それから、坂を上がって、金曜日の夜になると集まって演奏していた公民館の前を通り過ぎて・・・
(現在は休止中です。やはり、多様な集まりにならないとだめ)
(でも、これまでの活動につながる、あることを妄想しています)
そして、帰宅。
それから、少ししてから、NHKテレビのベートーヴェンの交響曲第9番(第九)を聴きました。
おお友よ、このような調べではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか! (第九より)