bunbunの記

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つながり

 

川口由一さんのこと。

 

大学を卒業して郷里に戻り、役場勤めを1年した後に町立の知的障害児の施設に指導員として異動して、そこで20代後半の5年間を過ごしました。

 

29歳の年に公民館に異動となり、新しい職場で読んだ新聞で川口由一さんのことを知りました。

 

その夏には社会教育主事講習を受講するために公費で約1ケ月ほど広島市に滞在しました。

 

ある休日に滞在中の広島市から奈良県大神神社に行きました。

 

新婚の友人夫婦と宿で落ち合いました。

 

大神神社参拝とその神社のご神体である三輪山に登るのが旅の目的でした。

 

でも、川口さんのことも意識していたのでしょうか。

 

宿で調べたら、歩いて行ける距離に家があると分かりました。

 

その翌日、三輪山から下山した後に山の辺の道を歩いて行きました。

 

突然の訪問だったのですが、川口さんは我々を家に招き入れ、それから田んぼや畑にも案内してくださいました。

 

畑でいただいてその場で食べたキュウリがとても瑞々しかったことが印象に残っています。

 

翌年の春に私は結婚し、職場も教育委員会の社会教育課に変わりました。

 

次の年、教育委員会の関係者で奈良県へ視察研修に行くことになり、私が推薦して3年前と同じ宿に泊まることになりました。

 

その宿での宴会の後に、私は酔った勢いで夜の道を歩いて川口さんの家へと向かいました。

 

それから数十分後には川口さんの家の居間にいて、仕事をやめて農業をしたいと言う私に、それは勧めないと川口さんは答えていました。

 

それからのこと。

 

休日になると、川口さんを真似て自然農法を試みました。

 

養蜂業を営む女房の実家に行っては、養蜂の手伝いをしました。

 

その頃には、なぜか家にはヤギまでもいて、女房が乳を搾り、私は小屋に敷く藁の入れ替えなどをしました。

 

そして年月とともに次第にそれらをしなくなりました。

 

(それから10年近くが過ぎて、ひょんなことからミニバスのクラブに通うようになり、『学び合い』を知り、古武術のことを知り、そして独立してクラブを始めたわけですが、それらはすべて川口由一さんの自然農法とも、世界の認識の仕方として、深くつながっていると思うのです)