夕方から3週間ぶりのバスケ教室。
2週続けて、地域の行事などでバスケ教室は休みだった。
3週間ぶりのバスケ教室ではあったが、教室の主宰者は今日はお休み。
電力不足の関係で、7月から平日が休みで土日が仕事になると言っていたので、そのためかもしれない。
その主催者は自分のブログに今日、「バスケ教室を始めて14年、初めてそのバスケ教室を休む」と書いていた。
ということで今日のバスケ教室を指導したのは、私の近所のある男性。
彼はこのバスケ教室に毎回来てはいたけど、教室の全般的なことは教室の主宰者が行っていたわけで、すべてを任されるということは彼にとって初めての体験だったのである。
私はその彼の様子を見ながら、7年前のことを思い出していた。
私が誘われてこの地域のミニバスクラブ(このバスケ教室とは別の団体)の低学年の指導を始めたのが、今から7年前のこと。
それまでは、自分が子どもたちを相手になにかをするなんてことは考えたこともなかった。
そして、その思いもしなかったことが、自分がやっている今のことにつながっている。
その7年前のクラブの初日に、私は6~7人の低学年の子どもたちを前にして、とてもどぎまぎしただろうと思う。
さて、この子どもたちに対して、自分にはなにができるのだろうか、と考えたのだろうと思う。
で、「当事者」ということ。
タイトルが先にできてしまったので、それに向かってこの文章をまとめなければならない。
「当事者」になる。
バスケ教室の合間に(私は気ままな参加者でいさせてもらっている)、体育館から隣接する小学校の校庭を見ると、そこには中1の女の子たち数人が遊んでいた。
ミニバスクラブに所属していた4年間の最後の1年に私が担当していた、当時は小3だった女の子たちである。
彼女たちは自転車に乗ったり、バレーボールのパスをしたりして戯れている。
体育館と校庭とで、彼女たちと少し話をする。
それからしばらくは、彼女たちの様子を眺めて過ごす。
「当事者」であること。
「指導者としてのデビューだったね。初体験だったね」と教室が終わってから彼に言った。
「いやー、とても疲れましたよ」と彼は答えた。