bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

つながりというもの

 

一昨日の朝、参加申込みのメールを送る。

 

『A保育所長様。先般の貴保育所の見学に際しては、いろいろとありがとうございました。さて、12月6日(火)~7日(水)の研修会に参加させていただきたく、メールいたしました。懇親会への参加もお願いします』

昨日の夜、職場のある集まりがあって、そこに来ていた地元N保育所の所長らにA保育所に見学に行ったことや、来月にそのA保育所などが主催する研修会に参加することを話す。

 

保育所長「なんでまたA保育所長を知ってるの?」

 

私「ツイッターで知りあって・・・」

 

保育所長「日曜日に益田市であった保育研究会のシンポジウムでA保育所長はシンポジストの1人として参加していたよ」

 

私「保育研究会のチラシをネットでみました。自分のホームページにはA保育所に見学に行ったときに撮った写真を何枚も載せているから見てくださいね」

 

帰宅してA保育所長にツイッターで、今夜のことを伝える。

 

保育所長(ツイッターにて)「保育所のこと紹介していただいてありがとうございます。ところで、今月下旬に奈良県で行われるALL全国教育フェスタでお話しさせてもらうことにしました・・・」

 

私(ツイッターにて)「おお、そうでしたか。なんだか痛快ですね。痛快すぎて、ちょっと茫然としています」

 

プレイベントを紹介したら、すぐに申し込み、参加したと思ったら、そこでできた学生とのつながりで依頼されて、全国のイベントに参加するというのだから。

 

『ALL全国教育フェスタプレイベント@島根、が開催されるというので行ってみた。江津市出身で、今は広島で大学生をやっているY君が、ぜひ自分の地元でやりたいと言ったのだそうだ。集まったのは、山口と広島からやって来た大学生と、江津市のA保育所長と、そこから車で40分のところに住む町役場職員である私の12名。(A保育所長というのは私が先日訪問した、とても『学び合い』的な保育園の若い園長で、私がこのイベントのことをツイッターで紹介したら、彼はとっとと一人で参加申し込みをしたのでした)』(10月23日の私のブログより抜粋)

 

ALL全国教育フェスタについてネットで調べる。

 

そこで分科会の講師としてA保育所長と、そして九州の小学校で『学び合い』を実践するM教師の名を見つける。

そして今日・・・

 

私がこの春から担当している業務において、高齢者のある人に4千円ばかりの料金の納入をお願いしなければならないことがあった。

 

事務的に誤ったというわけではないのだが、ある事情からその家庭に出かけて行って経緯を説明して了解を得る必要があった。

 

数年前の町村合併までは隣町であった、その土地の知らない家に行き説明するのは、ある事情において気持ちが重かった。

 

出かける前の準備として、その高齢者の家族構成を調べた。

 

それから山の向こうにあるその家まで気分よく車を走らせて、その家を訪ねた。

 

「実は、〇〇〇〇をしたのですが〇〇〇〇だったために〇〇〇〇していたら〇〇〇〇が起こって、そのためにこうやって説明して了解してもらわなけらばならなかったんですが、まさかそれがあなたの家だったとは・・・。一度、お邪魔したいと女房と話していたんです」

 

「ちょうど帰宅したところで良かった。近くの保育所の昼食に招待されて、そこから帰ったところなの」

 

保育所って言えば、江津市にA保育所ってあって、私はそこに見学に行ったし、来月はそこがやる研修会に参加する予定なんです」

 

「森の幼稚園ね。鳥取県には園舎がなくて屋外で保育をしているところがあるんだってね」

 

「A保育所は森の幼稚園ってわけではないけど、でも森の幼稚園って知ってたんですか」

 

「名前だけは聞いたことがあったけど、それよりもさっきまで保育所でそんな話をいろいろと聞いてきたばかりなのよ。ところでこの間の日曜日に県の保育研究会が益田市であって・・・」

 

「それ知ってますよ」

 

「東京からその研修会のシンポジストとして参加したHさんが、その日の夜に我が家に泊まったの」

 

「え、なんでですか。A保育所長もその研修会のシンポジストだったんですよ」

 

「2年前にHさんと知り合った関係でなの。では、またゆっくり奥さんと遊びに来てくださいね」

 

夕方からはクラブ。(小1:1人、小3:6人、小6:2人、中1:1人、中3:2人、大人:1人、計13人)

 

今日も始まりから終わりまでの一切を子どもたちに任せる。

 

今日は、いつも参加している子どもの父親であり若き政治家でもある某氏が、クラブの始まりから終わりまで体育館で過ごしてくれた。