bunbunの記

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いつものように

 

先週のクラブの終わりに私は「じゃあ、いつものように終わってね」と集まった子どもたちに言った。

 

後から考えれば、ばかな発言だったと思う。

 

いつもは10~20人ぐらいが輪になって「今日の号令をかける当番は誰にする?」などと、子どもたちはわいわいがやがやと言いながら終わるのだけど、先週のクラブはいつもと違って参加者が4人だけ。

 

その「いつも」とは状況が違うのに、私はいつものように子どもたちに言った。

 

「じゃあ、いつものように・・・」

 

まことに、間抜けな話である。


数か月前から、クラブの始まりのときに、みんなで集まることはやめた。

 

それ以前には、クラブの始まりだけでなく、クラブの時間の真ん中あたりで、とりあえず一回はみんなを集めることにしていたのだけど、それもやめた。

 

だから、今ではみんなが集まるのはクラブの終わりだけ。

 

あとは、原則的にはずっと子どもたちにまかせっきり。

 

でも、ずっとまかせっきりにしてからの方が、子どもたちの様子がよい。

 

思えば、このクラブを始めてからの4年間はいろいろなことをした。

 

誰でもどうぞ、ということで始めたクラブだったので、年齢から嗜好までがばらばらの、いろんな子どもたちがやって来て、結構戸惑った。

 

それでも、戸惑いながらも、そのいろんな子どもたちに対して『学び合い』的に目標の設定とその評価を試みつづけたりもした。

 

「参加している全員とバドミントンをして、どの組み合わせでも10回以上続けることができる」なんてことを言い出して、対戦表を作って、やらせたこともあった。

 

クラブの目標を語る私に対する子どもの反応に、ちょっと感情的になったことも何回かあった。

 

クラブとは別に、夏休みの宿題をみんなでやろうと呼びかけたりもした。

 

呼びかけてやって来たのは、クラブの子どもたちだった。

 

いろんなことをした。

 

いろんなことがあった。

 

「いつものように終わってね」

 

これは「みんなが気持ちよくクラブを終えることができる終わり方をみんなでしてね」と私が言ったのが発端だった。

 

そういうことであった。

 

そういうことであったのに、それがいつのまにか「いつものように」となってしまっていた。

(この4年間に渡って、いろいろと試行錯誤を重ねた結果としてこのクラブの文化が出来上がり、だからこそ、こうやって子どもたちにまかせっきりにしても成り立つクラブになったのだということを書き連ねようとしたのだけど、いつものようにまた、私の計画とは違う方向に文章は進んで行ってしまうのでした)