昨日は、集落の慰安旅行として、玉造温泉(松江市玉湯町)まで日帰りの旅行をしました。
私がその旅行の幹事だったので、途中で出西窯(出雲市斐川町)に立ち寄るように計画を立てました。
この窯に初めて行ったのは、進学先の東京から郷里に帰った1年目のことだったと思います。
あれから27年ばかりのうちに、5~6回は訪ねています。
私と同世代であり、この窯の創設者の2世代目のある人も53歳になっていました。
山仕事をする人も減って、今では登り窯で大量に使う薪も隣の岡山県から購入するしかないのだが、その薪作りに携わっている人も高齢で、その先行きがここの作陶にも影響を与えかねないと話していました。
(以下は、この窯元のホームページからの抜粋です)
昭和22年8月 5名の青年と2名の賛助者の協力をもって創業する。
昭和23年9月 初窯を出す。河井寛次郎先生、浜田庄司先生に会い、民藝の話を聞き絶大な感銘を受ける。
昭和24年 金津滋氏の指導を受け、後に民藝運動に参加することを一同決心する。地名により出西窯と名を定める。松江・袖師窯の尾野敏郎氏の縁で柳宗悦先生の知遇を得る。
昭和25年 初夏、隣村の隆法寺住職山本空外上人 (広島大学教授) に師事し、仏教に集団の理念を見いだす。夏、河井寛次郎先生来訪、指導を受ける。日常の食器類を作り始める。
昭和26年10月 柳宗悦先生来訪する。
昭和27年10月 吉田璋也先生に師事し、鳥取民藝協団に参加する。浜田庄司先生の指導を受けて益子に学び、また丹波、五条坂に学ぶ。
昭和28年5月 バーナード・リーチ先生が舩木道忠工房隣の丸三陶器工場に一か月ほど滞在して制作をおこない、通って教えを受ける。
昭和30年4月 中出西に仕事場を移す。通産大臣賞を受賞する。秋、高松宮殿下御成り。この年、組織は、組合員一人一口平等の経営参加発言を規定する企業組合を適当と選んで、企業組合出西窯とする。 (今日に至る)