bunbunの記

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年末にあたっての暮れの旅行記

 

12月20日(土)

 

米原駅新幹線から乗りかえた在来線で、関が原を越えて昼過ぎ大垣駅に降りる)

 

岐阜県大垣市

 

旅程の都合だけの理由で最初の宿泊地とした大垣だったのですが、ここが松尾芭蕉の「奥の細道」のむすびの地であることを街中の案内板で知った私も、そして市内散策で立ち寄った大垣城が、関ヶ原の戦いのときに石田三成らの西軍の根拠地となったことを知った、NHK大河ドラマの熱心な視聴者である女房も、旅の始まりから高揚した気分でいたのです。

 

(事前に予約しておいた宿に荷物を預け、市内散策をして、養老鉄道で最初の目的地へ向かう)

 

岐阜県養老町

 

養老駅を降りて山に向かって少し歩くと、傾斜地が始まる辺りから渓谷の奥の養老の滝まで続く養老公園に入ります。遊歩道に積もった雪を踏み締めながら養老の滝まで歩き、それから上って来た道を引き返して、荒川修作とマドリン・ギンズの作品である養老天命反転地へ行くと、数日前に降ったこの地方では珍しい量の積雪により公園施設は閉鎖中で、がっかりしながら唯一開放されていた養老天命反転地記念館に入ったのですが、その館内の奇妙な構造に、ここを旅の目的地として希望した私としては、ひとまずの満足感をもったのでした。

 

12月21日(日)

 

大垣市からとても近いことに気がついたので、一旦方向を変えて名古屋へ向かう)

 

愛知県名古屋市

 

私は十数年前に所用で関東へ行く際に途中下車して一泊したことがあるのですが、女房は始めての名古屋でした。「まさか名古屋まで足を伸ばすことになるとはねえ」と話しながら街の中を歩いて名古屋城へ行きました。

 

昼過ぎ名古屋を出て、在来線で関が原を越えて長浜駅で降り、電話で近くの国民宿舎を予約する)

 

滋賀県長浜市

 

長浜市は、所属する大学の史学研究会の合宿(研修旅行)で長男が数年前に訪れたところなので、立ち寄ることにしました。史学研究会などというものは、全国的な有名地などではないところに行く傾向があるようで、「なんで長浜なんだろう?」という疑問が我々夫婦にはあったのです。

 

琵琶湖々畔の長浜豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が城下町として整備した街でした。城址に再建された長浜城内では黒田官兵衛に関係する特別展も行われていました。(そして、奇遇にもこの夜がNHK大河ドラマ黒田官兵衛」の最終回だったのでした)

 

さて、なぜ長浜なのかということについては、やっぱり良く分からないけど、行く前よりも少しは分かったような気もしたのです。

 

12月22日(月)

 

(朝6時過ぎの電車で彦根へ向かう)

 

滋賀県彦根市

 

早朝の彦根。以前から女房がいつか必ず行きたいと言っていた彦根城。まずは城の外堀辺りをぐるりと歩く。朝焼けに、かすかに赤みを帯びた伊吹山が遠くに聳え立つ。8時30分の開門を待って彦根城内に入る。琵琶湖の対岸に雪を纏った比良山地が遠望される。

 

在来線で移動)

 

滋賀県近江八幡市

 

数年前に司馬遼太郎のある紀行文を読んでから、近代に活躍した近江商人と、そして古代においては朝鮮半島からの帰化人が住み着いたというこの土地にいつかは訪れたいと思っていました。それから市内にいくつかあるヴォーリズ建築ヴォーリズの設計した神戸女学院大学がいかに学びの建築物として優れたものであるかを、その大学で退官するまでの間、教授として勤めていた内田樹さんが書いていました。

 

旅行の前にそれらのことをきちんとは調べてなくて、なんとなく途中下車したこの街だったのですが、勤めを退職した後に始めたという店主の小さな喫茶店に、昼食のために入ることになったご縁からしても、期待以上の収穫を持って次の目的地へとこの街を後にしたのは言うまでもないことなのです。

 

(車窓から見ただけですが、すぐ近くには織田信長安土城址もありました)

 

滋賀県大津市坂本】

 

門前町である坂本からケーブルカー比叡山に上がり、延暦寺を参拝した後に反対側のケーブルカー京都へと下りたいと思っていたのですが、到着したのが午後3時頃。日吉神社の受付で問うと、京都へと下るケーブルカーは冬季運行中とのことで、神社を参拝してから、再び在来線大阪へと向かうことにしたのですが、その在来線坂本駅ホームからは夕暮れの琵琶湖と、その対岸遠くに伊吹山を見ることになったのでした。

 

大阪で長男と夕食)

 

12月23日(火)

 

大阪市北区中之島

 

梅田駅で降りて巨大ビル群のなかを中之島へ向かったのですが、どうもちょっと横に逸れてしまったようなのです。迷い込んだ閑静な街のなかの喫茶店で遅い朝食(そして早い昼食)をとることにしました。

 

大阪ももう終わってるよ。この辺りには問屋がいっぱいあったけど、商品の生産をみんな外国でするようになったんで仕事がなくなって空きビルだらけ。そしてその空きビルをつかってやってるのが有料老人ホームとかの福祉関係。若い人も今では年寄りの世話の仕事しかなくてかわいそうだよ。これからどうなっていくんだろうね」(喫茶店の店主談)

 

女房となんだかこれからの我々の課題をもらったような感じだったよね、と話しながら喫茶店を後にしました・・・って書くとしみじみした様子ですが、店主のおばさんの話は実におもしろかったのです。

 

中之島にも一度行ってみたかったのです。ナカノシマ大学とかネットで少し読んでいて、関心をもっていたのです。中之島淀川中洲の島なんです)に入ってみたら、そこにはもう20年ぐらい前に万博公園から移転した国立国際美術館があって、時間がないので展示は観ることはできなかったのですが、エントランスロビーにあるジョアン・ミロの陶壁画には20数年ぶりに対面することができました。

 

(電車で移動)

 

兵庫県神戸市

 

これまた念願だった、横尾忠則現代美術館に行くことができました。

【これを書いている大晦日にあたっての唐突的なまとめ】

 

旅行に出かける前日、勤務中に長女から「お父さん、決まったわ」との電話がありました。新年5日からは目出度く社会人です。これまでに紆余曲折はあったけど、結局はいちばん良い場所が迎え入れてくださったと思っています。

 

私も来年は全く新しい日々が待ち受けています。

 

今回の旅行でも、とにかく歩きました。歩いているとたくさんのことに出会うことができるということを改めて体験することができました。

 

来年もまたこれまで以上に歩く(そしてときに走る)速さでやっていこうと思います。

 

それでは、みなさん、幸多き年を迎えましょう!