bunbunの記

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調査団の来訪

 

8月22日(土)~24日(月)に、ある調査団が邑南町にやって来ました。

 

来訪されたのは「古々路の会(ここじのかい)」の皆さんです。

 

(120名ほどの会員の内、今回来訪されたのは、新潟県:2名、埼玉県:2名、東京都:5名、神奈川県:2名、大阪府:5名、奈良県:1名、兵庫県:2名、岡山県:1名、山口県:2名、大分県:1名、の23名でした)

 

民俗学歴史学などの研究団体であるこの会は、年1回の国内各地での合同調査と、その調査報告書の発刊を主な活動とされています。

 

私は、この会のメンバーではないのですが、町内の某氏(この会の会員であって、今回の合同調査のお世話をした人)に誘われて、会の皆さんと行動を共にしたのです。

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「来年の7月に(その後8月に変更となりました)民俗学の調査でK大学のM教授やそのゼミ生達が来るから一緒にやらないか」

 

「分かりました、やりましょう」

 

数年前に退職した私の職場の先輩である「町内の某氏(上記)」と、そんな会話をしたのは去年の秋の頃のことでした。

 

「退職するんだって。ちょっと早いなあ。それはそうと8月の合同調査よろしく」

 

この3月の下旬、私の早期退職が異動内示により公表された日に、その先輩は電話でそう言いました。

 

「今回のメンバーの1人が、ある研究論文に載っていた〇〇〇〇さんという名の元助産師に会って話を聞きたいと言ってるんだけど、その人知ってる?」

 

「よく知ってますよ。電話してお願いしてみましょう」

 

その先輩と電話でそんな会話をしたのは、調査当日の2日前のことでした。

 

そして、合同調査初日の午後1時に、車で30分のところにある高速バス停留所に少し遅れて到着すると、そこには日程説明をしている先輩と、それを聞いている若い人から年配の方までの男女20名ばかりが集まっていました。

 

当然、先輩以外は知らない人ばかりです。

 

しかも、数日前に郵送で受け取ったばかりの合同調査の要項に記されていることと、去年から一昨日までの先輩との先の3回の短い会話と、私が先輩の依頼により行った元助産師さんとの日程の打ち合わせだけが、私が知っている今回の合同調査の概要の全てでもありました。

 

そんな一種宙ぶらりんな状態で、3日間の全日程を会員(調査団)の方々と共にしたのですが、これが時間を経るごとに次第に面白くなっていったのです。

 

2日目の23日には、会員の1人を案内して、元助産師さんのお宅を訪問しました。

 

病院と違って医師が常駐しない母子センターでの助産師としての仕事を長年勤めたその人は、私の地元の人であり昔からよく知っていたのですが、今回のような話を聞くのは初めてでした。

 

訪問したのが午前9時で、聞き取り調査が終わったときには時計の針は12時を回っていました。

 

質問に答えての、尋常小学校の時代から退職後の生活までの話も興味深かったのですが、長い時間を掛けての話者の思い出話を記録していく民俗学的な調査の様子も、それを初めて目にした私にとってはとても興味深いものでした。

 

その夜には、今回の主調査地である(私の地元の)隣の地区にある旧家での、夕食をとりながらの神楽鑑賞と、その近くのお寺での昔ながらの盆踊りの見学が行われたのですが、この辺りから私はあることを意識し始めたように思うのです。

 

最終日の24日は、2人の女性会員を谷間の集落に案内しました。

 

親子ほど(あるいはそれ以上?)歳が離れているその2人を後部座席に乗せて谷間の集落に向かいながら、そして、車を停めて集落の何箇所かを一緒に歩きながら、その時々の自分の感覚を改めて確認するようでもありました。

 

谷間の集落では、ある石碑の所在を教えてもらうために、通りがかった家の前に車を停めて家の玄関に入って声を掛けると、家の奥から現れたのは私の顔なじみの女性でした。

 

その女性に石碑のことを尋ねていると、車から降りた2人が庭先にいる我々のところにやって来て、さらに家の裏から現れたこの家の主人を加えての会話になり、それがそのまま民俗学的な聞き取り調査になっていったのも面白いことでした。

 

その前だったのか後だったのか、年配の方の女性会員が言い、私は笑いながらそれに応えました。

 

「ここの蔵の壁には、鏝絵(こてえ)がありますねえ。そして蔵の反対側には・・・」

 

「いつの間に(蔵の裏まで)行ったんですか!」

 

その年配の方の女性会員は、脚の具合が悪いのか片手に杖を持って歩いています。

 

この家を訪ねる前には、谷間の集落の中ほどにある滝へも行きました。

 

滝のすぐ近くまでは車で行けるのですが、滝の上にある観音堂までは急な階段を上らなければなりません。

 

それでも2人の女性は観音堂まで上がって、観音堂とそこにあるいろいろな物に関心を示して、手帳に書き留めたり写真に撮ったりしていました。

 

それから、年配の方の女性はこう言いました。

 

「この上にも歩道が続いてるから、ちょっと行ってみますね」

 

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もともと民俗学的なことなどにも関心があったので、先輩に誘われてお手伝いをするために参加したこの合同調査だったのですが、3日間に渡って会のメンバーと行動を共にしてみて、会員の方々の行動の仕方に強い影響を受けたように思うのです。

 

地元住民の話を聞いて記録する様子や、伝統芸能を見るときの様子や、盆踊りの輪に入って踊りを体験しようとする姿や、そして、ありふれた日常の事物に向けるまなざしなどを見ているうちに、自分の意識も変容するような感じがしたのです。

 

この土地に暮らす我々にとっては、とてもありふれた普通の風景や普通のおじさん・おばさんなどのそれらのすべてが、なんだか宝の山のように感じられて、一緒になってわくわくしている自分を発見したりもしたのです。

 

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最終日の24日、午前中の調査を終えた調査団は山の上の宿に戻り、そこで昼食をとり、ささやかな解散式を行って、3日間の合同調査が終了しました。

 

それから調査団は、初日に降りた高速バスのバス停へと向かうためにマイクロバスに乗ったのですが、広島市へと帰路に着く人たちとは逆方向の日本海沿岸の温泉地を訪ねるK大学のM教授を乗せて、私は皆が向かったのとは違う、車で15分ばかりのところにある高速バスのバス停へと向かいました。

 

K大学は、今年4回生となった私の長男のいる大学でもあって、M教授は民俗学を専攻している長男が(ゼミは違うのですが)お世話になっている人でもあるのです。

 

長男がK大学に入学が決まり、そこで民俗学を専攻するということを知った私の先輩が、その民俗学の学科にはよく知っているM教授がいると話してくれていました。

 

それはもう3年以上も前のことです。

 

そんなこともあっての今回の合同調査への私の関わりだったのですが、高速バスが来るまでの時間、バス停の近くのかっての宿場町を一緒に歩いたりしながら、そのM教授と話をしていることが、これもまた不思議なことであったのです。

 

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(いろいろと有難い調査団の来訪でした)