bunbunの記

カテゴリー クラブB&J、活動の様態、私的な事々、非日常的な、奇妙な偶然、その他

9年経過(そして2年も)

 

3月30日(木) 小2:2人(女)、小4:2人(男、女)、小5:1人(男)、小6:3人(男)、中1:1人(男)、中2:1人(男)、中3:4人(男)、高1:6人(男)、計20人

 

クラブを始めてから9年が経過しました。

 

その9年目の最後の日に、小2の女の子が2人やって来ました。

 

こんな小さな子供たちが新たに参加するということは何年ぶりなのでしょうか。

 

たぶん数年前から時折参加している小4の女の子が誘ったのではないかと推測しているのですが、その小4の女の子は体育館に来るなりこう言いました。

 

「急いで来たけど先にとられてた。でも、いいもん。関係なしにやるから」

 

女の子たちが来たときには、体育館の玄関側のコートには小・中学生の男の子たちがバスケをしていて、その向こう側のもう半分のコートでは何人かの高校生たちが集まって「だべって」いたのですが、その小4の女の子は小2の2人を連れて高校生のいる側のコートに行き、3人でバスケを始めました。

 

いつもならば高校生たちがネットを張ってバレーボールの試合をするコートで女の子たちがバスケを始めたので、どうなるのだろうかと思いながら見ていたのですが、高校生たちは思い思いにそれぞれが、バスケのシュートをしたり、2~3人で「だべって」いたり、壁に向かってバレースパイク(壁打ち)をしたり、小学生の女の子たちとバレーのパスや、壁に腹ばいになって腕相撲をしたり、そしてひと時は高校生全員でバスケの試合をしたりして、結局最後までネットを張ることはなく、小学生の女の子たちと場所を共有して過ごしていました。

 

クラブの時間も残り30分になったころに、小2の女の子のお祖母さんが体育館をのぞき、私に終了時間を確認して一旦帰宅したのですが、そんなときには私も外部の人の目でクラブを見るような感じになります。

 

高校生たちは上述したような終始ゆるい状態でしたし、お祖母さんが来られたときには、玄関側のコートで小学生の男子5人がバスケの試合を続けていたものの(彼らは最初から最後までずっと試合を続けていました)、中学生たちのほとんどの者は少し前までやっていたバスケを中断して壁際に集まって雑談などをしていたので、体育館内の全体的な状況としてはずいぶんと弛緩したものに見えるのだろうと、そのときには考えたのです。

 

そして、同時に思ったのは「このゆるい状況さえもクラブの大切な一部分なのだ」ということでもあったのです。

 

ところで、義父の容態も安定しました。(唐突ですが)

 

ギリギリのタイミングでかなり困難な状況ではあったようなのですが、人口呼吸機を外すことができて会話もできるようになりました。(人口呼吸機を外すことに成功したときには本人と握手をしましたよ、と主治医はおっしゃいました。ありがたいことです)

 

依然として予断を許さないことには変わりがないのですが、状況の好転ではあります。

 

我々が扱うミツバチの巣箱は、義父の巣箱が加わるのでこれまでの4倍の60箱になります。

 

なんとか絶やさないように維持していかなければなりません。(養蜂というものはとても手間の掛かる仕事なのです)

 

今年2年目となる農業の方は、栽培する野菜の種類を昨年の2倍近くに増やしました。(総面積は昨年より少し増えたぐらいです)

 

女房はパートの仕事の日数を減らして今後に臨みます。

 

私の方は早期退職をして早や2年が過ぎました。

 

義父の病気という残念なことによるのでもあるのですが、状況的には落ち着くところに落ち着いたということでもあるのです。

 

さて、クラブの10年目と退職後の3年目が始まります。