2月25日(日)
集落の農業関係の会合。たった10数件の小さな集落のうち、農家はさらにその半分ほど。1番若い者が50歳という全国津々浦々どこにでもある過疎高齢化の集落。
昼に出発したのでは伯母の通夜に間に合わないけど、会合の世話役だからしょうがない。
すぐに2kmほど歩いて大学時代を過ごした土地へ行く。
何度か入ったことがある定食屋で、当時とは代替わりした店の夫婦とこの土地の思い出話をする。
あれからおよそ35年。
2月26日(月)
伯母が島根の我が家で生まれて95年。
午後、三軒茶屋のホテルに帰り、2kmほど歩いて下北沢に行く。
渡辺えり子(劇団3〇〇)
私が若い頃に関心を持った主な演劇人たち。
下北沢に6つばかりある小劇場のうちの1つの劇場の前で開場を待っていると、テレビでしか知らなかった渡辺えり子(現在は改名して渡辺えり)さんが劇場入り口の小さな階段から降りてくる。
2018年2月18日(日)~2月27日(火) 下北沢ザ・スズナリ オフィス3〇〇(劇団3〇〇から改名)『深夜特急』
観劇後、歩いてホテルに帰る。
2月27日(火)
2kmほど歩いて卒業した大学へ。
許可を得て図書館を見学。ここでも昔の自分を探している自分。
新しく開設された資料館にも入る。
入ってすぐのところに展示されている彫像の作者は島根県江津市の出身だった。
思い返せばこの日の奇妙な偶然はここから始まっていたのかもしれない。
ちなみに、中国地方で最大の河川である江の川の河口に江津市はあって、(以下、平成の合併前の町名で記す)その江の川を遡ると桜江町があって、その次には川本町、そして川本町から支流を遡ると私の住んでいる石見町がある。
資料館を出る前に、受付の女性職員と話をする。
「島根から来たんです」
「え、僕もです。邑智郡のどこですか」
「川本町です。高校を卒業してこちらに来ました」
「僕は石見町ですよ」
「お隣ですね。母親は石見町の出身なんですよ」
大学から2kmほど歩いて大学時代を過ごした土地へ行く。
一昨日の夜に訪ねたばかりなので、今度は冷静に歩くことができる。(一昨日は酔いも手伝ってのことだけど「すげー」「すげー」とつぶやきながらさまよい歩いていた。何の変哲もない街なのに)
いつも行っていたそば屋で懐かしいメンチ定食を食べる。
それから区役所に行く。
昼休みどきだったので、島根にいる元職場の後輩に電話をする。
「いま区役所の横にいるよ。それだけだけど、報告しとこうと思って」
数年前のこと、人事異動で私の隣の席になった後輩の母親の実家と私が住んでいた下宿とが200mも離れていないことが分かって、後輩はそこでいとことサッカーをしたと言い、私は隣接する図書館などに何度も足を運んだことがある区役所の、その中庭の様子などをお互いに懐かしく話したりした。
その後輩の母親は600kmも離れているところに嫁いできたのだが、そこは私の家から800mしか離れていなかったということなのだけど、まあ、これは一応は余談である。
それから2kmほど歩いて(今回は、行く先々の距離がどれもおよそ2kmだった)ホテルに帰る途中に、大学4年のときにスケッチブックを買った店を見つけたので入ってみる。
「35年ほど前に、ここで初めてスケッチブックを買ったんです」
店主に話す。
「島根から来ました」
「島根には昔の職場での知り合いがいるよ。今年も年賀状が来てたよ。島根の奥の方だと言ってたけどね」
「僕は邑智郡なんです」
「邑智郡だったかもしれないなあ。もう80過ぎだからね。昔はもっと(年賀状が)来てたんだけどね。あ、これこれ。邑智郡川本町だね」
・・・
ホテルに戻って一休みして、下北沢まで歩く(2km)。
また別の演劇を観たかったのだけど、さすがに旅の疲れも出てきたのでそれはやめる。
夫婦が営んでいる料理屋に入る。
ちょっと気味が悪くなって聞いてみる。
「島根と関係があるなんて、ないですよね。なぜなら、かくかくしかじか・・・」
「ええ、うちはないですね」
2km歩いてホテルへ。
2月28日(水)
午前3時に目覚める。
思い立って5時にホテルを出る。
渋谷まで2km歩く。
それからさらに8km歩いて東京駅へ。
歩いていると途中に善光寺東京別院があり、さらに行くと豊川稲荷東京別院があった。
そう言えばこれを書いている今日3月3日は結婚記念日。
3日目は愛知県の豊川稲荷の宿坊に泊まり、翌朝のご祈祷に参拝もしてみたのだけど、これもまた余談ではある。
豊川稲荷東京別院に行き着いたのは午前7時。境内を歩いているとご祈祷の声が聞こえてきたので、本堂のなかに入る。
27年前の本山の方の様子は忘れたのだけど、10人ばかりの僧侶が太鼓と鉦とともに行う読経が、なかなかに参拝し甲斐のあるものであったのは、あの時もまた同じだったのだろう。
夜、島根に帰る。
田舎の日々が再開する。