3月28日(木) 中1:1人、中2:1人、高1:1人、計3人(男)
春休みで高校の寮生たちも帰省していることだろうから、30分ほどバスケの練習をして帰宅しようと思っていたら、体育館の前に車が止まり3人の子供が車から降りてこちらに向かって走ってくる。
「おっちゃん、ひさしぶり」
新顔がやって来たのかと思ったら、1~2年前までクラブに来ていた、中1と高1の兄弟と、その近所に住む中2の男の子だった。
「絶対もうやってないと思うとった」
「つぶれたと思うとったろう」
「今、誰が来とるん?」
「高校生たちが来とるんで」
「何人ぐらい?」
「まあ10人ぐらいかな。多いときには20人ぐらいんときもあったんで」
「へーえ」
3人のうちの高1の男の子は町外の高校に進学しているのだけど、春休みで帰省し、久しぶりにクラブに行こうということになったのだろう。
それからの1時間30分は、第2期後期(下記参照)の頃の懐かしい光景と声のなかで、私は1人バスケのドリブルなどをした。
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クラブから帰宅した日の深夜、目が覚めたときにクラブ11年目の最後の日であったことにようやく思いが至りました。
それは、歳をとってあらゆる物事の輪郭が曖昧になっているからなのか、それとも10年を越えてからは、クラブを続けた年数が自分にとってそれほど意味をもたなくなっているからなのか・・・
なにはともあれ、節目ではあるのでこの11年間を振り返ってみます。
☆ ☆ ☆
クラブの11年が経過した。
この期間を大雑把には3期に分けることができる。
まず、私の息子やその近所の同級生など、そして知り合いや親戚の親子などにも声をかけて細々と始めた最初の半年間が、第0期。
(誰も来ない日が続いたりして、始めたというより始められるのかという感じだった。それまでの4年間、指導のお手伝いで通って相手をしてきたミニバスクラブの子供たちは何人もいたのだがその子たちを自分から誘うことはしなかった)
次に、半年ぶりに出会った小学生の女の子が何人もの子供たちを誘ってくれてからの2~3年間が、第1期。
(その女の子が半年前にミニバスクラブを辞めていたことを知ったので私のクラブに誘うと、その翌週のクラブに1人で来て、さらにその翌週のクラブには私が相手をしていたミニバスクラブの子供たちを連れて来てくれた。あの日、体育館の前で待っている何人もの子供たちの姿と「コーチ(ミニバスクラブ時代の呼び名)みんなを連れて来たよ」と言ったその女の子の声は忘れられない)
それから、小2の子供たちが新たに参加し始めてからの4年間ばかりが、第2期。
(2学期の終わりの頃から小2の子供たちが数人参加し始めて、彼ら彼女らが小3になると同級生が10人前後となり、それは小学校を卒業するまで続いた。その人数に合わせて小学校の上級生・下級生、そして中学生もやって来るので、参加人数的にも一番勢いのあった時期と言える。ただ、彼ら彼女らより下の学年の子供たちがずっと少なかったことが、今の小中学生の参加状況につながっている)
そして、やがては高校生だけの参加になったこの3年間が、第3期。
(部活動を引退してクラブに来ていた中3の子供たちが、卒業して高校生になっても続いてやって来た。その中には町外・県外から入学した寮生たちが混じっていたのだが、次第に地元の子たちが減り寮生たちが参加の主体となる。彼らの後に入学した今の高2、高1も同じく寮生を中心に参加するようになったのだが、その反面、小中学生の参加は皆無に近くなっている)