bunbunの記

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あるつながり

 

我が家から車で2時間のところにある島根県雲南市は、2004年に、三刀屋町木次町加茂町などの6町村が合併して生まれた。

 

その雲南市には、亀尾佳宏さん、白築純さんという演劇人あるいは音楽家がいる(そして、いた)。

 

(お二方ともに公にも名の知られている人なので氏名で記します)

 

私が三刀屋高校演劇部のことを知ったのは今からおよそ10年前の2010年の頃で、全国大会の最優秀・準優秀校の上演がNHKで放送されたときのことだった。三刀屋高校は準優秀でその演劇部の顧問が亀尾佳宏という人だった。

 

それからの数年間に何度か三刀屋高校演劇部の舞台を観に行った。その多くは雲南市木次町にあるチェリヴァホールという公共施設だったのだが、雲南市加茂町のラメールという公共施設でも一度ほど観たことがある。

 

白築純という音楽家を知ったのは、そのラメールだった。

 

その日、ラメールでは県主催の人権フェスティバルが開催され、そのプログラムとして三刀屋高校演劇部の演劇や白築純さんのミニコンサートなどが行われていた。

 

それと前後する同じ時期に、私の町のあるイベント会場で白築純さんの演奏をたまたま続いて聴く機会もあったのだが、その後は地方紙の連載エッセイでその名を目にする程度であって、話は演劇に戻る。

 

そのころ亀尾佳宏さんはその活躍の場を高校演劇だけでなく市民演劇へと広げていた。

 

2013年3月に、氏が脚本・演出(出演もあった?)を手がけた雲南市創作市民演劇を観に行ったのだが、これもチェリヴァホールだった。

 

それからの6年間も、同じく氏が脚本・演出(そして出演)する創作市民演劇は毎年開催されていて、その情報はいつも得ていたのだが行く機会がなかった。

 

今年の春になって、この冬に上演された創作市民演劇が6月9日に再演されることを知った。

 

その日なら都合がつく。

 

そして、あれは5月の終わりか6月の初めのことだった。

 

数ヶ月前に大病を患って大きな手術をした私の知人のフェイスブックの投稿に誘われるようにして見ることになった、これもまた大病により去年ぐらいに亡くなったという私が知らない別の人の生存中の投稿へのあるコメントが目に入り、慌ててそのコメントの主のフェイスブックのページへ行き、そこからさらにその主のインスタグラムへと進んだ。

 

その主は白築純さん。

 

そこで3年にわたる闘病生活だったことを知る。

 

数日前に投稿されたインスタグラムの動画にはステージで見た華やかな姿とは異なる人が映っていた。その動画での様子と語られている内容から入院中の最後のメッセージになるものと推測された。

 

それから1週間あまりが過ぎた6月8日、地方紙の朝刊を開くとお悔やみ欄にその名があった。地方の著名人故に別枠で葬儀日時などの詳細もある。

 

翌9日。雲南市へ向かう。

 

開演は午後3時。会場は雲南市木次町のチェリヴァホール。

 

葬儀開始も同じ午後3時。会場は雲南市三刀屋町の葬祭会館。参列するわけでもないのにその場所はネットの地図で確認した。

 

車を走らせる川沿いの道から対岸にある葬祭会館の建物が見える。

 

少し行ったところで橋を渡って対岸の国道に入り、来た道の方向へ折り返すようにしてチェリヴァホールへと向かっていると、道路の脇にある「白築家葬儀会場」の小さな案内板が目に入る。

 

その案内板に誘われるようにして(でもおそらく予定通りに)、ハンドルを切って横道へ入る。

 

葬祭会館へと続く道は河川敷に広がる畑の中を走る一本道で、車が離合できる程度の幅のその道にはたくさんの車が連なっている。

 

自分の後ろにも車が次ぎ次とやって来る。

 

開演まであと30分。

 

元来た道に戻ることもできず、葬祭会館まで連なる車の列の中をゆるゆると進んでいると畑への進入路があって、そこで向きを変えることができた。

 

午後3時、上演開始。

 

午後5時、終了。

 

チェリヴァホールの駐車場を車で出るとすぐに、木次町とお互いに市街地を隣接させているような三刀屋町にある葬祭会館の建物がそう遠くない場所に見えた。