bunbunの記

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13年目と1年ぶりと、そして60年目の春

4月2日(木) 

 

子ども:2人、大人:1人、去年の高校卒業生:7人、計10人

 

クラブは13年目を迎えた)

 

 

体育館の前に数台の車と数人の人影が見えた。

 

そのときには何かの団体が終わったばかりなのかと思ったのだけど、車から降りると、おっちゃん久しぶり、だったか、そんなことを言いながら近づいて来たのは隣の市からこちらの高校に来ていたYくんで、その後ろには地元のHくんやTくんがいて、体育館へと上がる階段に腰掛けている2人のうちの片方に「Sくん?」と聞くと、それは地元のH’くんであって、隣県の広島に実家があるSくんはもう一人の方であったりしたのは、いきなりのことに動揺したことと、それぞれがそれぞれなりに髪型を変えていたりしていることにもよるのだけど、なにはともあれ、それはみな一年ぶりのかっての常連たちであった。

 

「懐かしいなあ、涙が出そうだわ」と、軽口をたたきながら体育館の鍵を開けると、昔のように彼らはバレーボールの準備を始めた。

 

(高校の3年間、彼らはいつもクラブに来てはバレーボールをしていた)

 

高校はまだ春休み中だし、先週に続いて今日も誰も来ないかもしれないと思っていたのだけど、思わぬ顔ぶれに続いて、彼らと同級生の地元のOくんや、中学校時代の常連で卒業後は町外の高校へ通っていた地元のUくんも遅れて来たし、さらには、数週間前から来始めた大人のSくんや、昔からの常連で、体育館から目と鼻の先に住んでいる姉妹までもが久しぶりにやって来て、それなりに賑やかなクラブになった。 

 

地元高校の卒業生たち6人は2時間続けてのバレーボールの試合。

 

近所の姉妹はバレーボールのパスをしたり、時折バスケのシュートをしたり。

 

大人のSくんはバスケのシュートや、時折姉妹の一方とバレーのパスなど。

 

町外の高校だったUくんは、初めはバスケのシュートをしていて、その後は中学校時代の同級生たちがバレーをしているすぐ近くでずっとスマホを見て過ごしていた。

 

 

4月3日(金)

  

朝刊で、新型コロナウィルスに関する論評を読む。

 

「・・・しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り替えて、あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステムである、と定義する見方・・・(福岡伸一)」

 

 

あやうい一回性のバランスの上にたつ動的なシステム

 

 

そういうクラブを12年前に始めようとして、それがこれまで続いて来たのだと(なんとなく)考える。

 

 

4月4日(土)

 

60年目の春を迎えた。(数え年ならそうなるんだと思う)