1月14日(木)
高3は、大学入学共通テストを2日後に控え、またその共通テストを受けない者たちが対象と思われる(このクラブに来ているのは皆こちらの方なのだろう)卒業試験が今日から来週の月曜日まで行われる。
体育館の外は、1週間に亘る強い寒気が過ぎ去ったばかりで除雪された道路以外はどこもかしこも雪に覆われている。
自由参加のクラブなので、体育館で待っていても誰も来ないことが年に数回はある。
たまにそんな日があってもその翌週からは参加があるということを何十回と体験してきたのだけど、誰も来ないときにこのままクラブが終わってしまうのではないかと不安な気持ちになるのは、何年経っても変わらなかった。
でも、最近はその不安感があまりない。
それは13年も続いたことによる安堵や、自分の年齢的なこととしての意欲の減退などによるものだろうと思っていた。
冒頭に書いたような状況なので参加がないのではと思い、今日は体育館の照明をバスケットボールのリングの上の1ヶ所だけにして、薄暗い中で一人でドリブルやシュートの練習をした。
そのときにふと「これからは一人でもやって行ける」と思った。そしてさらに考えた。
これまで参加者がないときに感じていた不安は、クラブの存続についてなのだけど、その裏には自分が認めてもらえない(否定される)ということに対する恐れのようなものがあったのではないか。
そしてその恐れは、自分が自分自身を認めていないことから生じるものなのではないか。
そう考えれば、最近に不安感があまりないのは、年数や年齢に起因するだけでなく、自由に参加する者たちにより継続されてきたこのクラブを長年体験することによって、自分の自分自身に対する思いが変化しているためなのかもしれない。
安心できる環境で育った子供は安心して自立できると言う。
子供たちを(大人たちも)受け入れる場を設けてきたのだけど、受け入れられていたのはその場を設けている自分でもあったのだ。
30分ほどしても誰も来ないので、照明を消して帰宅する。
来週は来るかなあ。