bunbunの記

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思い出

 

 

あるとき、目に余るところがあったのでしょう。他の職員たちからタツオをもっと指導するように言われ、追い詰められた気分になりました。

 

当時、私は箱庭療法などに関心があり、考えた末に、タツオにコラージュ(印刷物の写真などを切ったものを紙に貼り付ける絵画の一表現方法)をさせてみることにしました。(以下、日付の部分は当時の日記です)

 

9月18日 とにかく問題の多いタツオにコラージュのようなものをやらせてみる。

 

9月19日 タツオ、今日も墓の絵には興味を持つ。実際にもカッターナイフを持って死にたいとも言う。(注:まず彼が始めたのは、彼や私などの名前を書いた墓の絵を描くことでした)

 

9月22日 タツオ、集中が見られた。今日は、3枚つくる。墓ではなかった。

 

10月24日 タツオ、コラージュに新たな展開。自分の表現を見つけたと言えよう。

 

10月25日 「9:00 12:00 6:00 タツオやります。○○○○」(注:タツオが私に書いて渡したメモで、午後9時を過ぎて朝の6時までやりつづけますと言う意味で、○○○○は私の名前です) タツオ、夜11時過ぎまでかかってパターンは同じとは言え18枚の作品を作る。

 

その後はどうしたのでしょうか。25日以降の日記にはしばらくタツオのことが出てきません。粗暴さなどは相変わらずだったのでしょうが、彼のことで困ったような記憶もありません。

 

3月29日 施設から教育委員会へ異動することとなる。(注:それから社会教育の仕事を6年間することになったわけです)

 

3月30日 タツオと、去年の秋にタツオが作ったたくさんのコラージュを焼く。焼けていく作品を見ながらタツオは「終わったな」と言う。

 

今頃タツオはどこでどうしているのかなあ。