bunbunの記

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なぜクラブをやっているのか

 

4年間かよっていた地元小学生のバスケットボールクラブの、その最後の1年を迎えようかと言うときに『学び合い』に出会いました。

 

地方紙の山陰中央新報で八幡小の紹介記事を読み、そこにあった西川先生のホームページを読みました。

 

4月になると、これまで1年間指導していた子どもたちは上級生のチームに行き、私は新しく入部してきた2~3年生の指導を始める。これが毎年繰り返されるパターンでした。

 

学び合い』に出会った私は、4月の初日から練習のあり方を一変しました。

 

体育館はミニバスケットボールのコートが何とか2面とれる程度の広さです。

 

6時から7時ごろまでは、男子チームが1面、女子チームが1/2、そして私の低学年チームが1/2を使い、7時以降はステージで練習をしました。

 

これが学校だとすると広い教室があり、その教室の3/4では上級生に対して一斉指導が行われ、残りの場所では低学年に対して『学び合い』が行われている。しかも、2時間の授業の後半になると、低学年は廊下にでて学習しなければならない、と言うことでしょうか。

 

子どもたちはよく、「来年になったら上のチームに行く」と言いました。過去3年間は私も、私のチームは上級生チームへ行く準備期間と思っていました。しかし、この1年間では何回か「ここでの練習は上級生チームへ行く準備ではない。上へ行くんじゃない、横へ行くんだ。」と話しました。私のこだわりであり、聞いている子どもたちには迷惑なことだったと思います。

 

そんな様子で1年間続けたわけですが、自分も子どもたちも、そして保護者や他の指導者に対しても、よく続けられたなと思います。

 

周りに説明ができないことが問題でした。説明できたのに自分の怠慢によりしなかったのかもしれません。

 

確信はあっても『学び合い』の実際を体験してはいません。説明できる根拠も自信もありません。上級生チームに背を向けて練習しているのです。クラブの指導方針と相違することを、保護者に説明することはできません。

 

4年間、そして、学級崩壊に見えるような最後の1年を続けさせてもらえたことは、大変ありがたいことであったと思います。

 

しかし、クラブを出て独立することしか、自分にはその先へ進む道がなかったのです。