わからないこと
今日は地元高校の卒業式だったようです。
高2の娘が「〇〇高PTAだより(3月3日編集・発行)」を持ち帰りました。
そこには「卒業生に贈る言葉 PTA副会長 三〇〇樹」という文章も載っていました。
『・・・思いの一端を著書「街場の教育論=内田樹」を引用して贈ります。内田さんは「自分の子どもが生まれたとき、命を引き継げた安心感と、この子が次世代に命を引き継げるよう養育しなければとの義務感=「石にしがみついてでもいきろ」のメッセージが同時に湧いてきた」と書かれています。・・・』
げげ、こいつが内田樹を読んでるなんて・・・・・・・・・・
三〇〇樹は高校の同級生でした。
どういうわけか、三〇〇樹は1年生と2年生の冬、私の家にいました。
格別仲が良かったというわけではありません。
私のおじ・おばの家が三〇〇樹の家の隣だったということがその理由なのでしょう。
冬になると三〇〇樹は私の家にいました。
同じ食卓で飯を食い、同じ部屋で寝ました。一緒に徹夜してテスト勉強をしたこともありました。
高校を卒業し、別々の大学へ進学し、三〇〇樹は私が就職した役場の隣の町の役場に就職しました。(それぞれの生まれ育った町にもどったということです)
隣町にいる三〇〇樹は、同じ役場職員とはいえ、自分とはまったく違う道を歩んでいるように見えました(高校生のころと同じように)。
そして数年前、その二つの町は合併しました。
合併後の職員懇親会で三〇〇樹に言いました。
「今なら他人と一緒に同じ部屋で暮らすなんて絶対いやだ。でも、なんであの頃は平気だったのだろうか。」
それは今でも良く分かりません。