bunbunの記

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稽古 / 野ウサギの走り / 思い返してみれば

稽古

 

ということで、今日は体育館でよく動き、疲れました。

 

でも脚はぜんぜん平気です。

 

力によらない動きができているからなのかもしれません。

 

でも疲れているのはなぜ?

 

まだまだ未熟です。

 

 

野ウサギの走り

 

「だから宇宙には、荒廃のたたずまいも、不毛のしるしも、死の影もまったくない。混沌も混乱もない。そう見えるのは、うわべだけである。」(ライプニッツ

 

「心の強い人は、あらゆるものが神の本性の必然性から導き出されることにとくに注意する。そのために彼が不快で、しかも邪悪であると認識するもの、またこのために彼にとってけがれた戦慄すべきものであり、不正で、いやしいと見えるものはすべて、そのものの理解が無秩序で、断片的で、しかも混乱しているから生じるということに気づいている。」(スピノザ

 

連休の初日ですねー。

 

午前中はトラクターに乗り代掻きをしました。

 

協同所有のトラクターなんで大きいから2時間ですみました。

 

昼食後は昼寝をしました。

 

「ウウー」というサイレンみたいな音で目が覚めました。

 

交通取締りのパトだったみたいだけど、新型インフルエンザによる発熱外来設置の緊急招集があるかも知れぬ公立病院職員の私にとっては、やめて欲しい紛らわしい音でした。

 

昼寝後に職場に行って、たまった仕事を少ししました。

 

そして5時前になったので職場を出て地域の体育館へ行きました。

 

毎週土曜日のバスケ教室が始まる前に、そのために開いている体育館で一人お稽古をしようと思って行きました。

 

この教室には当時小学生だった息子と2年間いっしょに参加し、その息子が小学校を卒業してからは、さらに1年間ほど出向いては老体にムチ打って中学生とゲームをしたりしたものです。

 

教室の開始時間までの10分ほどシュートなどをして、教室が始まったら見学をし、休憩時間になって子どもたちが休んでいるときには、知り合いの子どもにボールを借りて、一人稽古をしました。(身体的稽古としてのシュート)

 

帰宅してから「野ウサギの走り」という若い頃によく読んでいた中沢新一さんの本の書名のことを何度も思っていました。

 

「野に生きるんだ、野ウサギの走りなんだ・・・」

 

食事後にその本を取り出して頁をめくりましたが、思い当たるところには行き着きませんでした。

 

それもそのはず、私が手にとっていたのは「野ウサギの走り」ではなく、「雪片曲線論」という本だったのですから。

 

でも、その本の冒頭に引用されていたのが、この日記の始めに記したふたつのことばで、若い頃には気にもしなかったそのことばが今日はやけにぴんときたのでした。

 

 

思い返してみれば

 

もっときちんと子どもたちに関わっていこうと思いながら、先日のクラブに臨みました。

 

(関わるといっても当然『学び合い』的な関わりです)

 

練習のはじめにこのクラブのありようについての話をするのに、配布した文章を読みながら行いました。

 

その文章は子どもが理解できるように書いたものではなく、大人向けに書かれたようなその文章を読みながらそれを解説していくのは、語りの方法としては良いものではなかったかもしれません。

 

子どもたちを前にしたその場に相応しい言葉で話していくことが普通の方法だとは思います。

 

しかし、子どもたちが家に持ち帰り保護者が読むであろうその文章は、決して大人のためだけに書いたものではないという思いがありました。

 

だから、そのままに伝えようとしました。

 

(そのときにそこまで考えていたのではないのですが、そういうことだったのではないかと今になって思う訳です)

 

去年の春まで、バスケクラブで1年間一緒に『学び合い』に取り組んだ8名のうちの4名がこのクラブに参加しています。

 

先日のクラブでの最初の語りの後に、真っ先に「動いた」のはその4名の子どもたちだったように思います。

 

「あっ、あれね」って感じで動き始めたように思います。