bunbunの記

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地表にでるためには

 

2年前の春、地方紙の朝刊で『学び合い』に出合いました。

 

その翌年の夏には西川先生が初めて島根にやって来られました。

 

西川先生を交えて行われた『学び合い』の会へ、私の町の教育委員会学校教育課の管理職と一緒に参加しました。

 

(その管理職は私が誘ったのではなく、学びの共同体と勘違いして自ら申し込んだのです)

 

その年の秋には、かって教育委員会社会教育課で2年間、私と席を隣にしていた人が、町の教育長になりました。

 

(その教育長はこの春から、学び合い型授業の推進に取り組み始めました)

 

この1年間、私は中学校のPTA会長であったこともあり、何人もの教師に『学び合い』の話しをしました。

 

そのなかで『学び合い』を知っていて、かつ関心を持っている教師(少なくとも、はっきりと私にそれを告げた教師は)は、一人だけでした。

 

その教師と『学び合い』の話しをしてから半年後のこの春、地元の高校に入学した息子の担任になったのは、その教師でした。

 

昨夜、私はその教師が学びの共同体のS先生の教え子だったことを知りました。

 

・・・伏流水のような流れはできているんだろうと思います。

 

こうやって二人だけで『学び合い』の話しをしてるんではダメなんだよね。

 

我々の横に一人、二人・・・といなければダメなんだよね。

 

というような話しを昨夜その教師としました。