「あたしの欲しいのはそんなことじゃない!」
女の子はからだ全体で叫んでいるのに、その男性にはまったくわからない。
その経験は、かなりショックだったらしくて、このあいだ、数年ぶりで彼に会ったけれど、あれはショックだった、あれ以来あのことをずっと考えている。私はまだあれと同じことをほうぼうでやっているんじゃないかと思う、って言うんだね。
ある年のこと、レッスンをはじめてみると、とっても生きがいい。あっ、面白いな、こういうことですか、と言って、さっさとやっていく。今年の教師たちは生きがいいなと思って、感心して見ていた。ところが、一日目の終わりごろになって、変な気がしてきた。始めからおしまいまで何にも変わらない。同じように興味をもって、同じように生き生きしていて、同じようにユニークで、ちっとも変わらない。
次の日、前日に自分の感じたことを言った。ひじょうに良いと思ったけれど、それが全然変わらないということはどういうことなんだろう。集中度がまったく深まらない。ということは、あなたがたが学校へ行って子どもたちとつきあう。先生のほうがいつも面白いことをしてくれるんで、子どもも喜んでいっしょにやる。すると、子どもとうまくつながれたと思い、それじゃ、次はこうしてみようというふうにやってみる。それもうまくいく。そういったふうに、あなたがたは子どもとつきあっているんじゃないか。それはたいへん良いことのようだけど、ほんとうに子どものからだがもとめていることは、そういうことなんだろうか。
以上、竹内敏晴「子どものからだとことば」から、省略などをして引用しました。
(なぜかは良く分からないのですが、1度はこの本のここの箇所をブログに載せたかったので、今日実行しました)