bunbunの記

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少し書いてみました(序章として?)

 

大学を卒業し、地元の役場に就職した2年目に町立の知的障害児の施設に異動となり、指導員として5年間を過ごしました。

 

現在の職場である公立病院へ派遣されてから8年が経っていますが、その内の1年間は同じ知的障害者の施設で勤務しました。

 

(病院で4年勤めたら施設に異動となり、そこで1年勤めて再び病院に戻り3年が経過したと言うことです)

 

15年ぶりに戻った施設は、かっては100名定員の未成年者の施設だったのが、成人(者)70名、児童・生徒(児)30名の児・者併設型の施設となり、建物も新しく建て替わっていました。

 

当時も児の施設とはいえ、すでに20才前後の利用者の数が児童・生徒よりも多く、それからさらに年齢を重ねていく利用者の実態に合わせて児者併設となったもので、名簿を数えてみれば、100名の内の半数が当時からの利用者でした。(当時20代だった者は、私と同じく40代になっていました)

 

古巣に戻った自分は児の方の部署に所属して、高校生男子4人を担当しました。

 

直接の担当ではないものの、未就学児の兄弟2人もいて、他の子ども達が学校に行っている間は、その兄弟の世話をしたりもしました。

 

その1年間に(そしてかっての5年間に)体験したことで、ここに書いてみたいことはたくさんありますが、その状況の「濃さ」ゆえに安易には書けません。

 

しかし、そろそろ何かが書けるかもしれないという気がしています。

 

(それにしても、施設職員→公民館主事→社会教育主事→戸籍係→税務係→病院職員と、いったい私は何屋さんなんでしょうね)